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以前学生に教えてもらった『メイド・イン・アビス』という作品は、絵も綺麗だし話も面白そうである。第一巻しか読んでないので、何ともいえないけれども、こういうものを読んで育った若者たちは、きまじめにはなりそうである。
この話は、地の果てまで開いた穴に、穴の底まで行って帰らない母親を探しにいく少女が主人公であり、――普通に考えて、胎内回帰のお話みたいに思えるが、もう十分幼い主人公で、しかも少女なので、少女が胎内回帰することで死にかかりながら大人びるという、まあ、今はやりのマザコン的なものよりはましな感じになりそうである。
――という感じで期待したい。のであるが、穴に下降すると圧か何かで死を意味するという設定であるので、死ぬことが生きることでみたいな話にならなければいいなと思う。横に広がる外には「世界」がなく、自分が何故生まれてきたのかという垂直の穴が謎として「世界」なのである。しかし、本当は謎でもなんでもない。事実は既にあるからだ。
今日、食事をしながら「巨人の星」を観てみた。主人公は穴ではなく星を目指すことになっているが、それは本当の星ではなく、巨人のスターという意味であって、ある意味、巨人に対する滅私奉公の世界である。奉公する主体が異常に主体的なだけにそう見えないだけのことだ。(もっとも滅私奉公というのはそういうもんである)このスターになる道は、自分の出生を探る旅よりも本質的にどうなるか分からない世界である。穴に回帰することは自分とは何かという解答を探す旅であるが、星への旅はそうではない。前者は受験勉強的であり、後者は論文のようなものだ。「巨人の星」は、ナンセンスなお話として伝説になってしまっているが、そのナンセンスさはこれを観ているこどもたちにとって、解答がない世界を旅するみたいなニュアンスがあったに違いないのである。今日観たのは、花形が練習で打った場外ホームランを球場の外にいた左門豊作が打ち返す場面である。ありえないことのように思うが、確かに、現実というのは、そんな驚きをしょっちゅう経験する世界である。
と思っていたら、トランプが北朝鮮の土を踏んでいた。