・夜のニュースでスピードスケートの小平さんが、お世話になった人のために実力以上のメダルを狙いにいったらだめで、もっと自分に即した意識をもって究極の滑りみたいなものを目指したらそれがよかった、みたいなことを言ってて、すばらしかった。「金メダルとか、順位というものは自分でコントロールできないから意識してもしょうがない」、オランダに留学したのも「文化としてのスケート」を学びに行った側面があると。それに対して、NHKのインタビュアーが一生懸命に「お世話になった人への感謝」と「金メダルを執念で狙いに行った」みたいなことを言わそうとしていて哀れであった。だから、そういう意識がだめだと言っているじゃねえか、人の話を聞いてんのかっ。小平さんが言っているのは、アスリートが金メダルを目指して日本と家族のためにがんばるみたいな、エゴイスティックで頭の悪い物語の全否定であり、そういう物語がかえって我々のパフォーマンスを往々にして下げるということである。例えば、戦争などもおんなじである。第二次世界大戦の日本なんて、東亜や日本や家族のために勝とうとしたから負けたのである。――それにしても、我々がコミュニケーション能力とか言っているものが、あほな方の要求に答えてやることであるのがよくわかる。しかし、一流の人は、「あんた人の話聞いてた?」みたいな態度をとらないのがすばらしいですね。要するに、否定は肯定と同じことになる――いくらくだらないことでも他にかかずらうことは、自分ではなく他人に即することであり、いずれにせよ危険なわけである。
・大学は、素人が専門家面してものをいってはいけないというモラルを教えるところである。賢い学生から馬鹿にされているのに気づかない教員は論外である。しかし、これは所謂専門家も簡単に「専門家面」ができるということを意味しない。実務家教員というものがおそらく殆ど場合だめなのは、自分に対する専門知を持っていないからである。これがないと、レジメや資料がキチンと作れない。自然と、授業は思い出話に墜落する。
・首相って森羅万象について答える立場だったんだ……。はじめて知ったわ。権力をもった素人が適当にしゃべると大変なことになるのはこういうところからもわかるな。
・最近は、エリートがアイロニーを解さなくなって久しいな。原因ははっきりしてて、アイロニーを理解しないふりして相手を批判できるからである。アイロニーは一種の「ボケ」なので無防備なのだ。そこをつくと相手は自分の主張をアイロニーとして主張できない。かっこわるいからね……。エリートが生存競争だけを目的に生きるようになったことが原因だ。
・もしかしたら、アメリカは北朝鮮に好意を持っているのではなかろうか。特に何もされてないからな……。朝鮮戦争でひどいことをしてしまったしね……。アメリカには、「あーあの戦争を日本にやらせとけばよかたわー」と思っている人がいるとみた。そもそも北朝鮮は世界で厳密に言えば孤立なんかしてないだろう。他にもすげえ人権侵害やっている国はごろごろあるしね、特に珍しい国じゃないわな。あ、わかった。森羅万象に対応しなければならない人だけに対応してもらおう。そんないろいろできないから対話のための対話が一番いいじゃん。日本人の得意技じゃん。
・国内は意見を封じて仲良く、他国とは喧嘩してもいいようなきがするのは、間に海があるからよかったねとしか言いようがない。でも、今は本当に実質的に海なんかあるのかな……
・学校の教員は、半端なリアリズムを子どもに教えるなよな……。まあ、根本的に宗教施設だから仕方がないか……。施設から出たからといって、同等のひどい世界が広がっているけどね……。全教科できる(「できない」、でも可)人が教えているのが根本的に問題なのである。「わたくしは森羅万象について答えなければならない立場にありますけれども、詳細を把握しているわけではない」。学校の教員はかくして首相じみてくるのであった。大学教員もちょっと油断するとそういう魔圏に落ちる。大学の教員の資質の問題ではない。自分に即した追究を止めると必ずそうなるのである。