★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

仮設のトイレに駆け込み訴え

2010-08-16 19:00:27 | 文学
宿舎の入り口あたりにカプセルホテル出現……

違います。仮設トイレです。

明日の朝から二日間トイレ使用禁止になって、ここに駆け込まなければいけません。

駆け込みといえば、これであるな……

申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。あの人は、私の師です。主です。けれども私と同じ年です。三十四であります。私は、あの人よりたった二月おそく生れただけなのです。たいした違いが無い筈だ。

[…]

はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。


以上は、太宰治の大傑作「駆込み訴え」の冒頭と末尾である。よく考えると、ユダとしては、イエスへの愛憎に関して[…]の部分で出すものを出したので、すっきりしたという感じであろうな。この小説は所謂トイレ小説だったのだ。

最近増えている自意識過剰の連中は、自分の存在を無視されるのが怖くて「~じゃないですか~~」とかすぐ同意を求めてくるが、上のユダみたいにちゃんと一人相撲を演じ尽くせよ。同意させ自分の発言の尻ぬぐいさせてトイレのあとの小学生みたいににやにやするより、自分で尻を拭きつつ人を愉しませることをさっさと覚えるべし。ひどいのになると、人に尻ぬぐいをさせてるわりには「自分は必要があればいつも拭きに行きます」と言っているやつがいるのだ。「いま、会いに行きます」とかいう話があったな。「いま、拭きに行きます」という題名に変えたらよかった。


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1 コメント

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へっへ (NOWHO)
2010-08-16 23:02:03
作品末尾部分の「へっへ」が顔文字に見えますな。
さすが太宰ですな。
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