夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

リフォームは自分の手で

2016年02月09日 | 手作り
先日の新聞に「リフォームは自分の手で」と題して
記事が載っていた。

家のリフォームを自分の手で行う例が出てきた。
業者の指導を受けながら、工事に参加することで
人件費が抑えられるほか、その後のメンテナンスも
しやすくなる。資格のいる作業は別として、自分で
できるところは「自分でやる」ということで
リフォームの費用を「抑えられる」と書いてありました。

今度貸すことになった伯母さんの家は借主が自分で
リフォームするとの事。今時はこのような事が
流行りなのでしょうか。取り敢えず「貸主(大家)が
リフォームしないで「借主」が自分でリフォーム
してくれる事は大いに助かります。

息子が家を建てたとき業者さんと相談して、自分で出来る
ところは自分たちでやりました。工事費がずいぶん浮いた
という事で、浮いたお金を他に使いました。
なかなか上手いやり方です。

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エビータ(エバ・ペロン)の切手が出てきた

2016年02月09日 | いろいろな事
古い切手が伯母さんの家にあったので持ち帰りました。
切手収集なんて伯母さんの趣味ではなかった。と思う。
これはhisayoさんが会社時代に外国から来た手紙の
切手を集めてストックブックに「保存していたのでは」
と思う。広げてみました。

アメリカをはじめフランス、スペイン、フィンランド
ブラジル、タイ、東南アジアの切手がありました。
特にフランスは香料の取引があったからか一番多い。

その中にアルゼンチンのエバ・ペロン(エビータ)の
切手がありました。

 マリア・エバ・ドゥアルテはアルゼンチン、
 パンパス草原の貧しい村でバスク系アルゼンチン人の
 未婚のコックと妻帯者である農場所有者との間に
 生まれた5人の私生児のうちの1人として誕生。
 首都のブエノスアイレスから離れた田舎町フニンで
 育つ。15歳で家出をしてブエノスアイレスに上京する。
 高等教育は受けていない。
 1943年に、パーティーでペロン大佐に出会う。
 以後、政界に強い影響力を持つペロンの愛人として
 過ごし、1945年にペロンと結婚。選挙母体である
 アルゼンチン労働党の支援で選挙戦を戦ったペロンは
 翌1946年3月28日にアルゼンチン大統領に就任した↓

 ファーストレディとして活躍したものの、1952年に
 33歳で子宮癌によって死去、ブエノス・アイレスで
 行われた葬儀には数十万の市民が参列した。
Wikipediaより抜粋。美人の大統領夫人です。

「アルゼンチンよ泣かないで」は1978年エバ・ペロンを
題材としたミュージカル「エビータ」の中で歌われました。
1996年の映画『エビータ』で主役を演じたマドンナが
歌っていました(私は映画を見ていない)が、私は
カーペンターズの歌が一番、と思ってます。よく聴きました。

それにしてもエバ・ペロン、33歳と美人薄命です。
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