昨日は早朝に家を出て、車に乗り合わせて天草へ吟行GO。
いやはや、片道3時間ほど往復6時間の車の移動は疲れる。
車に乗せて貰ってこの疲れようだから、運転手はさぞやお疲れのことだろう。
自宅には夜の8時頃に到着したが、頭痛はするし眠いしで、風呂も夕食もそこそこに済ませてサッサと寝た。
ブログをアップする気力も無かった。
そういうことで、本日遅ればせながら・・・。
(崎津教会)
この地区が世界文化遺産に登録されたのは、禁教令下にあって潜伏キリシタンとしての生活文化そのもの。
潜伏キリシタンの文化遺産というと、キリスト教=教会となって、この教会が文化遺産のメインと思いがちだが、ちと違う。
この教会は、禁教令も解けたあとの昭和の初期に、布教活動で訪れた宣教師が、かつての踏み絵が行われていた場所こそが教会を建設するにふさわしい場所として建てたもの。
当初の世界遺産登録の活動では、こうした長崎・天草の教会群を遺産として申請したものの認められず、禁教令下にあって巧みに潜伏し、己の信ずる宗教を棄てなかった住民の生活・文化そのものが文化遺産と認められたものである。
(諏訪神社)
集落の一段高い位置に階段を上ると諏訪神社がある。
ヒマラヤ桜があって、11月頃満開になる。
こうした、神社もキリスト信仰の隠れ蓑的に活用された。
温厚な人々であったため、彼らが異教のものを崇めているらしいことも、暗黙に認められていたらしい。
(集落の道は海への道)
海に向かって路地が何本もある。
海には各個人の家から「カケ」と呼ばれる桟橋風の構造物が設置されていたという。
(桟橋「カケ」)
漁から帰るとこの「カケ」に舟をつけて獲物を荷揚げする。
今は、立派な港が出来てこのような施設はなくなってしまったとか。
名物の「杉ようかん」を頂きながら、地元の参加者で今回の吟行会でお世話になった方の説明を聞いた。
句会は、会場を町のコミュニティーセンターに移して、和やかに開催された。
初めて句会に参加した方が何名がおられたが、なかなかどうして素晴らしい句を披露された。
最後に、地元の参加者で尺八が得意な方の演奏に聴き惚れた。
(尺八の演奏)
中学校などでも教えておられるとか。
邦楽というか、日本の伝統音楽や芸能の火を絶やさず後世に継承しようという活動は、地道に続けられている。
阿蘇吟行ではフルート、玉名ではギターそして天草吟行では尺八と、みなさん趣味の域が広い。
句会が終わった帰り道、往路でちょっと気になった案山子を見るため道草をした。
(案山子のお祭り)
地域の人口より多い案山子の数、と言われても騙されたとは思わない。
数は数えなかったが、確かに凄い数でしかも動きがリアルに再現され、ぼ~っと立ったままの「へのへのもへじ案山子」は居ない。
本物の人間が紛れ込んでも、どこにいるのかは判らない。
三月の一連の吟行会では、偶然にも復路で楽しいものや珍しいものに出会えた。
阿蘇の大橋、玉名の大梵鐘、そして天草の案山子。
今日の昼時、頭痛も治って正常になった頭で、天草の案山子の話をしたら、相方が乗り気になって、とうとう明日は再度天草に行くことに。
車を入れ替えたので、相方の運転練習には丁度良いと思ったので私も話しに乗った。
「桟橋にうつらうつらの舫い船」・・・・しろ猫