吟行会というくらいだから、歩くことに関しては覚悟をして参加した。
もちろんキッチリ歩数計を装着し、本日のウオーキング歩数を稼ぐ腹づもりだった。
ところが、中通古墳群あたりから様相が変わってきた。
(中通古墳群)
小高い丘状の円墳や前方後円墳が、田んぼの真ん中に広がるのどかな春のひととき。
こりゃ一句浮かばない方がおかしい。
とここまでは、平常心。
この古墳や、阿蘇の平地を見下ろす絶好のビューポイントが北側の「小嵐山」ということで、案内された。
(小嵐山の見晴らしの良い場所に設置された案内板)
民家も、田んぼも、古墳も渾然一体に眼前に展開する。
(古墳などを眺める皆さん)
こんもりした小高い丘なのだが、とにかく登りが急階段。
階段もビックリするほど数が多いわけではない。
しかし、ひーひー言うほどキツカッた。
(下り階段)
登りはとてもカメラを手にする元気もなかった。
階段の足先をかける部分の幅が狭く、妙な姿勢で昇るので息があがってしまった。
実は皆さんが、下界を見下ろしているとき、私は一人山の裏側に回ってみたら、直ぐ傍まで道路があることを発見した。
多分、ぐるりとかなり遠くまで回り込んでくるコースだと思うが、もし後日相方を誘って来るようなことがあれば、迷わずこのコースを選定しようと思った。
その後、国造神社に向かう。
(国造神社の参道)
こじんまりして落ち着いた神社で、ご神木の杉が台風で倒壊し根元の部分が屋根付きで保存されている。
(保存されている手野の杉)
じつはもっと以前に、同じように台風被害で倒れた杉が保存されていて、つごう2本の杉が祀られている。
子供達が小さかった頃、夏休みの自由研究にと熊本で代表的な河川の一つである「白川」を河口から源流まで辿ったことがる。
ここら辺りは、「白川」の支流である「黒川」の源流域にもあたり、ウロウロした覚えがある。
余談だが、熊本には手軽なのかどうかは知らないが、単なる色の名前の川が多い。
「白川」「黒川」「緑川」「赤井川」などなど。
ま、吟行会にはまったく関係のない話。
さてその後、阿蘇の地元の同人の案内で、昼食タイムとなる。
昼食の後で、今日の席題が発表され、車で句会場の国立阿蘇青少年交流の家に向かう。
(阿蘇青少年交流の家から五岳を望む)
阿蘇青少年交流の家は、宿泊も可能な研修施設で、かなりの収容能力がある。
建物は独特の形状をしていて、中央から放射状に建物が連なり、間違えるととんでもない方向に向かう。
窓からは、仙酔峡をはじめ最高峰の高岳、煙を吐く中岳、根子岳や杵島岳が見える。
すぐ目の前の草原に一本たっている木の根元に妙なものを見つけた。
(草泊まり)
阿蘇の原野で、牧畜用の草などを刈り取る作業を泊まりがけでする場合の宿泊場所である。
家から原野まではかなりの距離があるので、こうした休息場所が必要だったのだ。
阿蘇の原野めぐる物語としては、夏目漱石の「二百十日」がある。
その文学碑も、この斜面沿いの昔の登山道の付近に建てられているが、その気になって探さないと判らない。
さて、小嵐山の階段でどっと脚が疲れてしまい、疲労のわりには歩数が伸びず、とにかく1万歩をクリヤーするまで、帰ってから家の近くを歩いた。
まあまあ、健康のために歩いて体を壊したのでは話にならない。
昨日を思い出すだけで、今日もどっと疲れてしまった。
「カルデラの内はまほろば涅槃像」・・・・しろ猫