カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

春に幽霊はちと早過ぎた

2019-03-01 10:19:55 | おでかけ
 人吉プチ旅行の最後は、永国寺(幽霊寺)と武家屋敷。

 武家屋敷は初めてだったが、永国寺は二度目で、最初は相方と訪れたのだが、へ~と頷いただけで帰ったものだった。

 今回は案内人の細部に亘る説明が聞けたので、へ~がナルホドに少し変わった。

 

 女性の幽霊(何故か幽霊に男は似合わない)が出たというお寺の裏手の池。

 妾が本妻に嫌みを言われて、苦しんだ挙げ句に身投げして幽霊になって本妻を苦しめるというストーリー。

 幽霊には出てきた自分がそんなに恐ろしがられる理由が分からなかったらしい。

 お寺の坊さんが「鏡見たことがないの?」と言ったかどうかは知らないが、姿絵を描いて見せたらしい。

 己の姿にビックリした幽霊は、坊さんから引導を渡されその後は出なくなったというお話。

 本堂の脇の壁際に幽霊画の掛け軸が展示してあるが、これはレプリカ。

 本物は年に一度ご開帳で、その日は幽霊祭りになるのだとか・・・。

 写真に撮してUPしてもいいのだが、写すのもUPするのも憚られたので、隣りに展示されていた「西郷隆盛の書」を写して代行させることにした。

 

 西南の役でこの寺は一時薩軍の本陣が置かれた場所とかで、西郷の書が置かれていてもおかしくはない。

 真贋の程は知らないが、本物ならこれこそレプリカを置いて本物は幽霊画なみに別保管が適当と思うが・・。

 その後は、街中にある「武家屋敷」に向かう。

 

 藁葺き屋根の独特の形状をした建物だった。

 門は、人吉城が開城されたとき払い下げられたものを移築したものだという。

 ここには地域の郷土史に詳しい人の説明を受けた。

 郷土史に詳しい方で、元の相良藩の殆どは薩摩軍に呼応して戦っているが、一人だけ明治の中央政府の軍人として活動していた指揮官級の人は、家族・親戚を敵に回して戦うこととなり、一番に自宅のある方向に砲を撃たせたという話。

 義理と人情の板挟みで、指揮官としての苦悩があったことだろう。

 司馬遼太郎の幾つかの作品を例に取りながら話されるので、何となく小説と郷土史が交差して聞かせるものがあった。

 

 庭には回遊式の庭園があって、遠くの山々は借景として生かされていたらしいのだが、ビルが建ってしまい現在は四分の一ほどしか遠くの山は見えない状態になっていた。

 世界・日本・地方と各々の思考の幅の違いは、今も昔も違いはないようで、その辺りを上手く融合できる政府であったり指導者であることが求められ、またそこが一番難しいことなのだろう。

 新しいビルを、新しい借景として納得できるかどうかの問題なのだ。

 スッカとした改革は、後でとんでもないしっぺ返しをくったりもするものだ。

 うらめしや~と、後で文句をいってももう遅い。

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コメント
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