カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

ナンダラの花の苗

2020-11-20 11:52:05 | 日常あれこれ
 昨日は、私は謡曲の発表会、相方は友人宅へに花を見に出かけることになった。

 相方の友人は、庭で花を育てたり、庭木の剪定や屋根の上の不具合箇所も自分で屋根に登ってみる行動派。

 恐るべき女性なのである。

 最近はさすがに、いろいろな人から止められて、屋根登りは自粛しているらしいが・・。

 相方は、ちゃっかり花の苗や花芽の出た胡蝶蘭の鉢を貰って帰って来た。

 
 (ナンダラの苗)

 名前札を付けてやろうと思って、相方に聞いてみた。

 「ナンダラカンダラと言うカタカナの名前だった」と恐るべき答えが返ってきた。

 つまりカタカナの名前であることは分ったが、もう忘れたのだと言う。

 確かに最近のカタカナの花の名前は、覚え辛く忘れやすい。

 名前を書いた札を、花の横に突き刺しておいても、やがて必要があって見ようとする頃には、札の文字さえ消えている。

 もう一度確認してみるらしくメールを打ち始めた。

 
 (胡蝶蘭)

 花芽の出た胡蝶蘭も貰ってきていた。

 一昨年には、3鉢貰っているがそれよりも倍以上に大きい。

 ビニールポットに入れたままだったので、素焼きの鉢に植え替えた。

 
 (花芽)

 花芽が一本だけ出ている。

 冬には綺麗な花を咲かせるだろう。

 一昨年の3鉢は、その後さっぱり花芽が出てこない。

 ただ幹や葉っぱは生き生きとしている。

 多分、相方の友人の言うところの、日照不足と過保護なのかも知れない。

 そう言えば、植木鉢に挿し芽をして庭の隅に放置していた菊に花が咲いていた。

 
 (挿し芽の菊)

 どうやら、過保護は花や草木でもよくないようだ。

 放置していたものを、思い出して見に行ったら花が咲き始めていた、という流れが一番良さそう。

 コロナも放置して解決出来たらいいのだが・・・。

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紅や黄色を道標に

2020-11-19 16:06:24 | ウオーキング
 今日は謡曲の発表会。

 4個グループほどが、日頃の練習の成果を披露する。

 6月はコロナの影響で中止した。

 今回の参加は、いろいろあって2個グループになってしまった。

 県境をまたぐ参加者もある会だが、寄る年波とその他よんどころない理由が続くが、最大のネックはコロナだ。

 

 会場は、私達が練習場所としている町の健康福祉センターの一室。

 例年だと、ちょっとした山荘の舞台で発表が終わると、お酒も入ってチョイナちょいながお楽しみだった。

 ところが、今年は6月に引き続き会場が使えないので、練習場が発表場所になってしまった。

 勿論、「マスク着用」「20名以下」「ソーシャルデスタンス」「飲み食いNG」はいつもの通り。

 じつに、あっさり・さっぱりした会だった。

 さて、謡曲には花を愛でるものや、紅葉を愛でるものも多い。

 今ならさしづめ「紅葉狩」が有名どころ。

 先日は、サッカーの試合が昼間だったので、ついスタジアムに向かう途中で紅葉の方に寄り道をしてしまった。

 

 なかなか綺麗な楓の紅葉だった。

 

 ロアッソのチームカラーは、火の国で真っ赤なのだが、なかなか空席が多く赤が目立たない。

 チームはJ2昇格権のある2位以内に定着どころか、昨日の結果3連敗で7位に転落した。

 スタジアムを真っ赤に紅葉させる特効薬は、勝つことなのである。

 これも謡曲だが、春の桜を求めて山を訪れる謡いに「吉野天人」や「西行桜」がある。

 吉野天人の謡いだしは、「♪花の雲路を標にて・・・吉野の奥を訪ねん♪」という一節であるが、雲の様に見える桜を道標に吉野を訪るという話である。

 同じことが、紅葉にも言えて、折角ウオーキングで歩くのなら、黄や紅葉を目指して歩いてみようということになる。

 
 (里山:船野山登り口付近)

 大きな紅葉を写していたら、傍の道路上に小さな猫が休憩中だった。

 この写真にも右中央下に写り込んでいるが、虫眼鏡を使用して猫が探せる人は多分視力が2.0以上の人。

 
 (益城三十三カ所21番札所)

 お堂の横の銀杏は、実が落ち始めていて、辺りには独特の匂いが。

 
 (田んぼの脇の銀杏)

 次の目標の紅葉を探していたら、田んぼの脇に大きな銀杏が目立っていたので方向を定めて歩く。

 こうした銀杏などは、神社やお寺の境内や一寸したお堂などの脇に植えられて入ることが多い。

 何かあるだろうと期待して近づいたら、田んぼ以外は何もない。

 こうして、花の雲路ならぬ黄色や赤の葉っぱを求めてウロウロと里山の麓を歩いた。

 で、結果的に18000歩以上を歩いてしまった。

 行きは良い良い・帰りは遠すぎてへたばりそうになった。

 「調子に乗るのも、ほどほどにした方がいいよ」、が相方の弁。

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庭木と断捨離と

2020-11-18 11:39:57 | 日常あれこれ
 春先に、一度剪定していた「槙」の樹の枝葉が、ぼうぼうになってしまった。
 
 元々、鳥が運んだ種から庭に発芽したもの。

 大きな樹は、庭に植えないことにしていたので鉢植えに。

 大きくなりすぎて窮屈そうだったので、地植えにしたのが運の尽き。

 それから20年以上が経過した。

 西日の遮光と目隠しに一役かうようにはなってきた。

 
 (鳥が運んだ槙の樹)

 適当に放置するととんでもない事になりそうなので、10年くらい前から適当に剪定を始めた。

 数年前に、友人が脚立から落ちて怪我をしたことがあって、以来我が家でも脚立の使用は極力控えることになっている。

 ただ、樹の中心はカットして伸びないようにしているものの、天辺付近は届かない。

 高枝きりハサミで挑戦したが上手くいかなかった。

 脚立の途中までしか昇らないということで、用心しながら使用した。

 夏場の、軒先へのスダレ掛けと、この槙の剪定だけが脚立を必要とする。

 
 
 自分で言うのもなんだが、まあまあの出来だと自画自賛。

 これからは年齢と共に、それに比例して危険度も増ていく。

 断捨離は万人の悩むところだが、究極の断捨離は意外と庭木の処置。

 近所でも、空き家が2~3軒あるが、例外なく庭はジャングル状態。

 遠い親族や第三者機関が、手を入れてくれればめっけものといった状態。

 殆どの人が、生きている内に自分の庭木を処分することなどしない。

 よって、あまり大きくなる樹は植えないことにした。

 

 庭の北西の一角だが、ほとんど鉢植えのものばかり。

 奥の鉢を、手前の鉢の草木で見えないように配置する。

 手前は、リュウノヒゲなどを繁茂させ、鉢が目立たないようにしている。

 他の場所でも、大きくならない樹は何種類か地植えにしている。

 キンカン、ブルーベリー、サクランボ、ヒメゆず、程度である。

 みな食べられる実の成るものばかり。

 さて、管理の限界と、自分で処分できる時期の見極めが難しいところ。

 一般的に断捨離と言えば、着物、持ち物、書籍、アルバム、年賀状をはじめ古い付き合い、などなど。

 意外と運転免許証も田舎では難しい部類で、庭木に至ってはほぼ考慮の外。

 まだ少し早いと思っている時期が、絶好機なのかも・・・。

 「最後には心の整理だけ残す」・・・・しろ猫

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紅葉狩り(二俣橋・八角トンネル・3300段の石段など)

2020-11-17 16:15:30 | おでかけ
 紅葉の時期を待って、出かける予定にしていた二俣橋や釈迦院に出かけた。

 天候は下り坂に向かっているようだが、出かけている間中はまず大丈夫とふんだ。

 
 (二俣橋の黄葉)

 ここは銀杏が名物で、散った後でも地上の葉っぱが楽しめる。

 恋人達の聖地だそうで、鐘のモニュメントなどが橋のたもとに建っている。

 
  
 付近の山も色づいていた。

 駐車場を間違えて、ちょっとした広場に駐めていたら、親切な人が11時半頃が太陽の光が反射してハート型に見える時期だと教えてくれた。

 それまでの間、直ぐ傍の「八角トンネル」でも見に行ったらどうかともアドバイス。

 駐車場を間違えて、そこの広場に車を停めているが差し支えないかと聞くと、自分の土地だから大丈夫だという話。

 道順を教えて貰って、相方とテクテク歩く。

 廃線になって久しい熊延鉄道の跡を100mほど歩くと八角形の構造物が見えてきた。

 
 (八角トンネル)

 新聞で紹介されて以来急に名所になってしまった。

 一本のトンネルというわけではなくて、2~3mくらいの幅のコンクリート構造物が、空間を空けながら数個続いている。

 崖などの崩落の危険性のある場所だけ、この方法で防護の処置がとられていて、トンネルのように見えるのだ。

 こうした構造物は、沿線に数カ所はあるようだが、ハート型の太陽を巻き込んだセレモニーの時間もあるので引き返した。

 途中で八角トンネルを探しているらしい若い女性3人組に出会うと、相方が得意そうに最初のおじさんが説明してくれたとおりに道順を説明していた。

 二俣橋に戻ったが、少し早すぎて太陽の移動時間待ちになった。

 
 (ハート型に写る予定の場所で試し撮り)

 ファインダーを覗きながら、ベストポジションを探した。

 ついでに試し撮りをして確認してみる。

 時間的に少し早いので、ハート型の下の部分が未完成である。

 そうこうする内に、若い女性3人組も八角トンネルから戻ってきた。

 皆さんちゃんと時刻を把握していて、時間前には老若男女がゾロゾロと集まってくる。

 二俣橋のもう一方の橋の上は、にわか撮影大会の様相を呈してきた。

 ところが、肝心の時間帯に薄雲がかかりはじめ、ハートのコントラストがぼやけてきた。

 結局、一番ハッキリ写っていたのは、私が最初の試し撮りした画像ということになってしまった。

 また、天気の良い日に訪れることにして、来たついでに次の石橋(馬門橋)に向かった。

 
 (馬門橋)

 これはまた、風情のある石橋だった。

 車を国道脇の駐車スペースに駐めて、棚田の横の下り坂を歩いた。

 途中で、この辺りの集落の人に出会った。

 挨拶をすると、付近の田んぼの持ち主で「この道路を進むとイノシシ除けの柵の扉がある」とのこと。

 「通行して貰ってもかまわないが、扉の開閉後ぴっちり閉める処置をお願いします」とのことだった。

 先ほどの二俣橋の空き地の所有者といい、今度のイノシシ除けの設置者といい、何と間の良い偶然の出会いであることか。

 しかしまあ、気をつけて見ると延々とイノシシ除けの柵が設けられていることに気がついた。

 途中のダム湖の横で、かつては整備されていた様子が窺える公園の跡で、おにぎりの昼食を頂く。

 午後は、釈迦院へ向かう3300段の日本一の石段へ向かう。

 
 (釈迦院:3300段の登り口)

 相方は完全に、階段を拒否。

 私も、かなり昔の若い頃に二度ほど登ったことはあるが、今更チャレンジする気にはならない。

 

 登り口の周辺でも、それなりに結構な紅葉を見ることが出来る。

 

 黄色や赤と、目にも鮮やかな色模様。

 今年の紅葉は、十分堪能させて貰った。

 家に帰り着いて暫くすると、空模様も少しずつ下り坂。

 11月とは思えないような陽気の紅葉狩りは、かくて目出度く終了した。

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新米には葉大根!

2020-11-16 11:23:18 | 日常あれこれ
 去年の米の残りがあるのだが、なかなか新米に行き着かないのでちょっと脇に置いといて、新米を食べてみた。

 確かに米の一粒一粒が感じられるのだが、如実に新米と実感できない。

 古米といっても、玄米で保存していて食べる分だけ、ほぼ10キロ程度をその都度精米して食べているのでなかなか味が落ちない。

 結局新米を味わうには、おかずが適切でないようだ。

 味が濃かったり脂っぽいおかずでは、本来の新米の味はわからないという結論に達した。

 そこで、葉大根の登場となった。

 
 (葉大根)

 新鮮で柔らかい葉大根を、塩もみして1~2時間置いた。

 
 (塩もみした葉大根)

 塩をあまり使わず、大根本来の辛みを残し食べるときは醤油をほんの少々。

 さて、新米のお味の方は・・・と。

 
 (新米へ再チャレンジ)

 う~ん、美味い!これだよこれ!。

 が、相方と一口ぱくりとやった後に同時に発した言葉。

 米の味覚を引き出すのは、シンプルなおかずなんだと再確認。

 例えばタクアンなんか良いのでは・・・。

 日頃は一膳で止めているが、葉大根でついついご飯をおかわりをしてしまった。

 
 (トマトとレタス)

 トマトはいろいろトラブルもあるので、熟れたら直ぐ食べることにした。

 レタスは初めての収穫だったが、ドレッシングなど一切使わずに食べたが美味かった。

 大体において、自作のものは自画自賛して食べるので美味いことになっている。

 
 (トマトの収穫候補)

 次々と色づいてくるので、油断なく監視し収穫する必要がある。

 庭に出て、収穫中の相方がなかなか帰って来ないと思ったら、通りがかりの知らないご婦人と立ち話で盛り上がっていた。

 葉大根は、もうかなり収穫したので残りが少なくなりつつある。

 何とか残っているキバナコスモスと共存と交代を図りつつ、種を蒔いてみるという手もある。

 まあ、花壇と菜園のせめぎあいという悩ましい局面ではある。

 ただ、日本の米の消費拡大に貢献するには、葉大根が必要ではあるのだ。

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里山と池と野生動物と

2020-11-15 11:00:49 | ウオーキング
 久々に陽の射す頃に歩いたので、少し紅葉を探すことにした。

 秋津川のコースから、田んぼコースを経て里山の一つである舟野山の麓まで歩いた。

 
 (河川公園の植栽の紅葉)
 
 (テニスコート脇の楓の紅葉)
 
 (中学校の駐車場の紅葉)

 計画的に植栽されたような樹木は、早いものは紅葉の真っ盛りを迎えている。

 
 (刈り取られた田んぼと里山)

 刈り取られた稲の株から、新しい芽が出て伸び始めている。

 まるで田植えが終わった田んぼか、二期作の始まりかと錯覚するほど元気な若緑が広がる。

 里山の麓に集落があって、我が家の米はここから頂いている。

 
 (そうめん滝)

 集落にはそうめん滝と呼ばれる池がある。

 生活用水や農業用水として利用されているこの池は、源流は後方のこんもりとした丘の下部断層から湧き出す水である。

 水の出口の高低差は50センチくらいしかないが、「そうめん滝」と呼ばれ親しまれている。

 その湧き水の出方がささやかで、白いソウメンを流したようなところから命名されたのだろう(たぶん)。

 常緑樹が多いせいか紅葉は見当たらない。

 ただ蔦類が有るはずだから、時期が来れば黄色になる部分もあるはずだが、まだ時期が少し早いのかも。

 この池を5月頃に訪れた時は、変な動物に遭遇したものだった。

 
 
 (池の対岸に現れた動物)

 焦げ茶色の動物が水を飲んでいるところに遭遇したのだ。

 対岸なので、ちょっと距離はあったが慌ててカメラを引っ張り出した。

 最初は狸かと思ったが、やや横を向きはじめたら脚がやや長いし体型が違う。

 鹿ともイノシシとも違った体型をしていた。

 家に帰り着いてから、一応役場に電話をして動物に遭遇したことを連絡した。

 野犬や野良猫なら直ぐ対応するが、野生動物では地域の被害状況等で対応が異なるとのことだった。

 しかし今、つくづく写真を見ると、最近報道されているニホンカモシカに似ていることに気がついた。

 山奥に住むニホンカモシカは、増えた鹿などに生活圏が脅かされているらしい。

 鹿やイノシシは駆除対象となっているが、ニホンカモシカは保護の対象動物だ。

 こんな小さな里山の麓の池に、現れるとはかなり状況は切迫しているのだろう。

 あの動物は、今頃どこでどんな暮らしをしているのだろうか、ちょっと気になった。

 そうめん滝は、止むことなく今日も地面の割れ目から水を吹き出しているのだが。

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江津湖畔を歩く

2020-11-14 10:37:16 | 日常あれこれ
 九州山地の高い地域は、もう紅葉も終わったとテレビは言っていた。

 中山間地が見頃で、平地は今週末頃などと言っていた。

 少し冷えれば一気に紅葉は進んだりするので、期待はずれの場所もでてくる。

 先日は江津湖まで脚を伸ばして、様子を見てきた。

 
 (下江津湖ボートハウス付近)

 のどかな風景が広がる下江津湖だった。

 
 (上江津湖の紅葉)

 紅葉は始まったばかりで、色づき始めた木々を求めて歩くので、いかにも付近一帯が紅葉しているかのように写ってしまう。

 

 まだ緑の葉っぱが大部分で、遠く水面越しに紅葉を見るとそこへ向かって歩く。

 江津湖は意識して紅葉の美しい木を植栽しているわけではないようだ。

 ただ、落葉の広葉樹がけっこう多いので、綺麗に色づかないまま落葉するものも多い。

 
 (水面の渡り鳥たち)

 俄然渡り鳥の姿が多くなってきた。

 水面には、数カ所「カワセミ」用の枝が突き刺してある場所があって、密かにカメラマンがチャンスを狙っている。

 カメラマンがたむろする一角があるが、どうやら今日も諦めの雰囲気が漂っていた。

 
 (芭蕉の花と実)

 芭蕉園には、花の付け根付近に小さな芭蕉の実がついていた。

 バナナの子供といった感じである。

 芭蕉の実も独特の調理法で食べられるらしい。

 高浜虚子の「縦横に水の流れや芭蕉林」の句碑が建っていて、直ぐ傍には夏目漱石の「ふるい寄せ白魚崩れん許りなり」の句碑も建っている。

 付近には半分野良風の猫がウロウロして、吾輩も猫であると言いたそうだった。

 作句用の句帳を手に、一見して吟行会だなという一団に遭遇した。

 歩いてよし、作句してよし、今の時期の江津湖はゆっくり過すには丁度良い。

 「時々は時間の向こう覗き見る」・・・・しろ猫

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トマトの帽子と靴下

2020-11-13 11:25:25 | 家庭菜園
 庭のトマトが完全に色づく前に、表面にヒビが入ったりし始めたので早々に収穫した。

 食べたら、少し酸っぱ味はあったが食べられた。

 
 (色づき始めたトマト)

 またもや数個が色づき始めたので、何とか熟すまで持ちこたえて貰いたい。

 水分の過剰摂取がひび割れの原因になることが多いらしい。

 ささやかな抵抗を試みることにした。

 
 (ビニールの覆い)

 トマトの幹の、横への広がりに比べていかにも小さすぎる覆いではある。

 が、無いよりはマシということで手作り感満載の覆いが出来上がった。

 強い風が吹かないことを前提にしている、無計画な覆いである。

 
 (地面の黒いマルチ)

 去年のトマトは、植える最初の段階から黒いマルチで地面を覆っていた。

 今年は、例によって泥棒を捕まえた後に縄をなう方式を採用。

 これが、いかにも我が家の菜園らしいところ。

 おまけに、後付けの作業なので、他の野菜の邪魔になりトマトの根っこの周りのほんの少しを覆うだけ。

 地面からの水分の摂取を制限させようとしているわりには、根っこに土を盛り上げ周りを低くしていないので、多分排水効果は低い。

 それでも、やりました感を出してブログでアピールするところはなかなかのくせ者。

 結果は出てみないと分らないというところは、コロナ・経済対策とソックリ。

 週間予報では、後半に雨も降るようなので、ささやかに抵抗する姿勢だけは示した。

 天候とコロナには手も足も出ないのが、人間の実情。

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笑いをとったり、思い出ださせたりする雑草たち

2020-11-12 12:57:05 | 日常あれこれ
 せっかく農家から新米が届いたのに、去年の米を精米したものがあって、新米に手が出せなかった。

 コロナの関係で子供達も帰省せず、米の消費量が予想を下回ってしまった。

 ただ子供達は新米が欲しいというので、コイン精米機まで出かけることに・・。

 作業の方は百円玉に任せて、付近をウロウロしてみる。

 
 (逞しい雑草)

 雑草もここまでくると、もはやただ者ではない。

 完全に笑いを取ろうとしている。

 コイン精米機の裏側で、必ずしも万人の目につく場所でもない。

 しかるに、ただひとり芸を磨いているとしか思えない。

 ある意味、コーンの穴からやっと日の目を見ることが出来たわけで、活躍が期待できる。

 
 (セイタカアワダチソウ)

 歌にもなるほどに、親しまれたこともある外来種だが、花粉症が問題になる頃から嫌われ出した。

 在来の茅(カヤ)が天敵らしく、地面の下の根っこ同士で生存領域のバトルを展開しているらしい。

 長年天下を謳歌してきたが、ここに来て在来のカヤが勢力を盛り返したとかで、段々少なくなってきた。

 それでも、ちょっとした工事現場の積まれた土の上にも花を咲かせてしまう生命力は恐れ入る。

 
 (たんぽぽ)

 すみれ・たんぽぽ・れんげそうは春の花の定番だが、どっこいタンポポは逞しい。

 まだまだ日当たりのよい場所には花を咲かせ、綿帽子を膨らませ子孫繁栄を図る。

 タンポポを見ると、孫のタンポポの綿毛飛ばしが目に浮かぶ。

 ふうっと吹いても、空気が横に漏れてタンポポの綿毛はピクリともしない図である。

 そんなこんなで、雑草を面白く観察している間に精米が仕上がった。

 後は送るための袋と箱の処置だ。

 これでやっと我が家も、新米のおこぼれが口にはいることになる。

 「太陽と土の恵みの米を研ぐ」・・・・しろ猫

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季節外れに時期遅れ

2020-11-11 13:22:44 | 日常あれこれ
 暦の上では初冬だが、紅葉を求めてウロウロしている当方としては、まだ秋は現在進行形。

 敢えて言うなら、秋と冬との二つの季節が行き会う時期。

 しかし、未だに時期遅れを通り越して、時季外れのものも見られる。

 その一番手はモミジ。

 
 (モミジ:青鴫立)

 最近新葉が出て、花まで咲き出した。

 その新葉も、出てくる時期が二段階に前後し、少しずつずれている。

 

 早めに夏の終わりに芽を出した葉っぱは、もう緑が濃くて最近のものはまだ黄色に近い薄緑色。

 春先にでてくる、小さな独特の模様が入った葉ではなくて、大きめの葉っぱである。

 この新しい葉が、鮮やかに紅葉するのは冬の寒さに縮こまる12月中旬以降になる。

 そして、変わり種二番手は朝顔。

 
 (朝顔)

 二度目の開花で、咲き方は蔦が短く花は円形をしていない。

 去年と同じように、フラメンコダンサーのスカートに似た感じ。

 これが、時期遅れの2輪目である。

 今年は鉢の数が多くなったから、少し賑やかになるかも。

 さて、三番手はクンシラン。

 
 (クンシラン)

 同じ鉢の中に、3株の幹が伸びているが、今年花が咲いたのはそのうちの1株だけだった。

 今朝水やりをしようと思って覗いたら、赤いものが葉の間に見えた。

 どうみても新芽の出始めの色ではない。

 かと言って、花期は通常4月中旬から下旬の頃で完全に遅れたというより時期が違う。

 通常花芽は、新芽のようにぐんぐん伸びて、その先端にオレンジ色の鮮やかな花が咲く。

 顔を見せ始める時期から、赤い色を帯びたものが出てくるのは我が家では前代未聞。

 夏の雲と秋の雲が、入れ替わったり混交して空に浮かぶ様を、行き合いの雲と言うそうだが、我が家では初夏と初冬が行き合っている。

 コロナで、猛暑の中でもマスクを着けることが日常になると季語も困ったことになる。

 使われなくなった言葉や風物も、俳句の世界では引っ張り出して使うから、まあ気にすることないか。

 「金色の千鳥になって銀杏舞う」・・・・しろ猫

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