春先に、一度剪定していた「槙」の樹の枝葉が、ぼうぼうになってしまった。
元々、鳥が運んだ種から庭に発芽したもの。
大きな樹は、庭に植えないことにしていたので鉢植えに。
大きくなりすぎて窮屈そうだったので、地植えにしたのが運の尽き。
それから20年以上が経過した。
西日の遮光と目隠しに一役かうようにはなってきた。
(鳥が運んだ槙の樹)
適当に放置するととんでもない事になりそうなので、10年くらい前から適当に剪定を始めた。
数年前に、友人が脚立から落ちて怪我をしたことがあって、以来我が家でも脚立の使用は極力控えることになっている。
ただ、樹の中心はカットして伸びないようにしているものの、天辺付近は届かない。
高枝きりハサミで挑戦したが上手くいかなかった。
脚立の途中までしか昇らないということで、用心しながら使用した。
夏場の、軒先へのスダレ掛けと、この槙の剪定だけが脚立を必要とする。
自分で言うのもなんだが、まあまあの出来だと自画自賛。
これからは年齢と共に、それに比例して危険度も増ていく。
断捨離は万人の悩むところだが、究極の断捨離は意外と庭木の処置。
近所でも、空き家が2~3軒あるが、例外なく庭はジャングル状態。
遠い親族や第三者機関が、手を入れてくれればめっけものといった状態。
殆どの人が、生きている内に自分の庭木を処分することなどしない。
よって、あまり大きくなる樹は植えないことにした。
庭の北西の一角だが、ほとんど鉢植えのものばかり。
奥の鉢を、手前の鉢の草木で見えないように配置する。
手前は、リュウノヒゲなどを繁茂させ、鉢が目立たないようにしている。
他の場所でも、大きくならない樹は何種類か地植えにしている。
キンカン、ブルーベリー、サクランボ、ヒメゆず、程度である。
みな食べられる実の成るものばかり。
さて、管理の限界と、自分で処分できる時期の見極めが難しいところ。
一般的に断捨離と言えば、着物、持ち物、書籍、アルバム、年賀状をはじめ古い付き合い、などなど。
意外と運転免許証も田舎では難しい部類で、庭木に至ってはほぼ考慮の外。
まだ少し早いと思っている時期が、絶好機なのかも・・・。
「最後には心の整理だけ残す」・・・・しろ猫
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元々、鳥が運んだ種から庭に発芽したもの。
大きな樹は、庭に植えないことにしていたので鉢植えに。
大きくなりすぎて窮屈そうだったので、地植えにしたのが運の尽き。
それから20年以上が経過した。
西日の遮光と目隠しに一役かうようにはなってきた。
(鳥が運んだ槙の樹)
適当に放置するととんでもない事になりそうなので、10年くらい前から適当に剪定を始めた。
数年前に、友人が脚立から落ちて怪我をしたことがあって、以来我が家でも脚立の使用は極力控えることになっている。
ただ、樹の中心はカットして伸びないようにしているものの、天辺付近は届かない。
高枝きりハサミで挑戦したが上手くいかなかった。
脚立の途中までしか昇らないということで、用心しながら使用した。
夏場の、軒先へのスダレ掛けと、この槙の剪定だけが脚立を必要とする。
自分で言うのもなんだが、まあまあの出来だと自画自賛。
これからは年齢と共に、それに比例して危険度も増ていく。
断捨離は万人の悩むところだが、究極の断捨離は意外と庭木の処置。
近所でも、空き家が2~3軒あるが、例外なく庭はジャングル状態。
遠い親族や第三者機関が、手を入れてくれればめっけものといった状態。
殆どの人が、生きている内に自分の庭木を処分することなどしない。
よって、あまり大きくなる樹は植えないことにした。
庭の北西の一角だが、ほとんど鉢植えのものばかり。
奥の鉢を、手前の鉢の草木で見えないように配置する。
手前は、リュウノヒゲなどを繁茂させ、鉢が目立たないようにしている。
他の場所でも、大きくならない樹は何種類か地植えにしている。
キンカン、ブルーベリー、サクランボ、ヒメゆず、程度である。
みな食べられる実の成るものばかり。
さて、管理の限界と、自分で処分できる時期の見極めが難しいところ。
一般的に断捨離と言えば、着物、持ち物、書籍、アルバム、年賀状をはじめ古い付き合い、などなど。
意外と運転免許証も田舎では難しい部類で、庭木に至ってはほぼ考慮の外。
まだ少し早いと思っている時期が、絶好機なのかも・・・。
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