人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

宗教から道へ

2015-02-01 14:32:44 | 宗教
昭和54年春、私の前にはいくつかが備えられていました…。

その一年前、自称宇宙考古学者K氏から「日月の民に告ぐ」という小冊子を貰った事があります。
私はそれをパラパラめくるなり、K氏にこんな言葉を向けました。
「これは大本教のお筆先ではありませんか?」
ところが、どうも違うらしい…じゃあ、パクリなのか? 艮の金神のお告げじゃなくて、天之日月之神? 聞いたことないが、自動書記かなんかの神示であるのは間違いないらしい…。
これが又、読めば読むほど容易ならぬ感じがしてきて、しばらく手放せなくなりました。
これが、ご存じの方も多かろう日月神示との出会いでした。
私がその神示をまとめて読んだのは、それから約10年後のことでしたが、その当時ですらそうでしたが、その出会いの当時はもっとこの資料は全く知る人ぞ知るといった、(私を含めて)好事家のレア・アイテムであったのです。
それが今日神様関係者の間では、マスト・アイテムになってしまうとは、当時は知る由もありませんでした。
ある意味では、本当に埋もれていた神が世に出た、という証なのかも知れませんね。
この神示は、宗教の終わりの型を出した、大本の後を継ぎ、宗教でない、変わらぬに依拠することをところどころ告げています。
その活動の拠点となったひかり教会は、特定の教祖のいない、組織力の緩い集いでした。
ところで、その小冊子には日月神示とは又別の、要之神示(カナメノツタエ)なる神示の一部も紹介されてあるのを、目敏い私は見逃しませんでした。
どうやらこれも、大本教神示、日月神示と続く神仕組みの系譜に連なるものらしい…それも現在進行形で降ろされているらしいではないか!
私はその約半年後の9月から丸一年間、その発信元の兵庫県の某協会から取り寄せて、毎月その神示を食い入るように読んでいたものです。
そのメッセージでは毎回のように、宗教の世は終わりを告げ、真の大本が開示され、人の内なる神の分霊とも言うべき直霊(なおひ)の目覚めを促していました。
それはかなり私の若き魂を鼓吹したものでしたが、54年の夏突然、その某協会でクーデターのような事が起こり、神示を取り次いでいたO氏が協会を追い出されてしまう出来事が有り、残念ながら神示も停止を余儀なくされてしまいました…。
前述の日月神示が顕れる、そもそもの発端は交霊会でのフーチ(古来、中国に伝わる交霊の形式)の実験でした。
又ひかり教会の教祖を置かない、集会の在り方にはモデルが有りました。
これはいずれも、大本教と親密な関係に有った、中国の宗教、慈善結社である道院紅卍字会に由来するものです。
ちなみに白光の五井先生もその団体のメンバーで、その影響のあった千鳥会という心霊団体との関わりから霊修行をさせられるなど、因縁が深かったようです。
私は何故か「関わらなきゃならないような気がしてきて?」昭和53年晩秋にそこへ初めて訪れました。
道院の根本的スローガンは、世界の五大宗教(儒、仏、道、回、基)を合わせて、大道を開示することにあります。
そこのメンバーは会社の重役とか、そうそうたる人たちばかりで、青二才の私は肩身の狭い思いもしましたが、宗教団体にありがちな偏狭そうな人はあまり居ませんで、割とくつろげる面も有りました。
そんな時、それまでの私の歩みからは、異色とも言える出会いが有りました。
キリスト教ならぬ、キリスト道を唱える小池辰雄先生との出会いです。
この方については度々触れており、今後も触れる機会もあるでしょう…。

いやあ、とにかく昭和53年から54年にかけては、このような奇しき出会いが続出した、後にも先にも無い時期でした。
この間、私は宗教的なものと関わりながら、それを超えたへとシフトして行った時期と重なります。
思い返すと、その一年間というものが、10年分生きてきた様に思えるほど、中身が濃かった感じがします。
だからと言って私は何かをやったという訳ではありません。
全て奇しき縁によって備えられたものです。
しかし、この備えられた道なるものも挫折に見舞われたり、相対を超えたものを打ち出した筈だったものが、再び相対の閉ざされた空間に変質したり、これも又形ある人間世界の宿命なのかも分かりません。
私にはこれらの道は正に形ある世界に、形なき命を吹き込んだという創造過程であったと感じます。
形なき命の全き顕現、開花には、まだ実地段階では無かったのです。
しかし私はいくつかの迷い道にあっても、その種の芽吹き、息吹きというものをハッキリと感じ取っていたのです…。

コメント
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