人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

至聖所

2015-02-21 20:08:23 | スピリチュアル
どの人間も物心がついた時、他人とは違う自己というものを認識します。
これはもう、どうしたってこの世に生を享けたものの宿命ですね。
そこから自己、あるいは他己イメージの投影というものが起こり、所謂自我というものが形成され、悲喜交々の幻想に満ちた人生模様が展開されていく訳ですね。
自我というのは、このようにその実体性がアヤフヤなものですが、その奥に有る魂の個性というものはもう否定しようが有りません。
そうでなければ、貴方も私もこの世には居ません!
いくら個我は幻想、大いなる一なるものしかない…と言っても、何故我々はこの世に生まれてきたか、ということについては何も答えてくれません!
この本来的個性というものは、どこにその淵源が存しているのでしょうか?
それは今、徐々にフタ開けされ、地上に応現されようとしている、一なる普遍的領域とはまた異なる領域に有ると思われます。
それはおそらく、永久にフタ開けされることは無いかも分かりません。
その秘奥はおそらく貴方と私、つまり一人一人の個にしか知らされ得ないでしょう…。他の何人にも…
言うなれば、それは極私的領域です。
この世界には、過去、現在、未来、あらゆる貴方自身の生が存しています。
そこで、我々は生き通しであることを示されるのです。
本当の意味での人生の裏側とは、この世界のことなのかも知れません。
(まあ、裏というのは開かれて、表に出てしまっては裏でなくなるし…)
全ての全てなる神は…勿論そこに存しています。
でも、この世界の自治権はあくまで個に委ねられています。神は必要以上に干渉してきません。
そしてこの世界で最も支配しているものは何かと言ったら…自由意志です。
そうです、この世界で貴方は好きな事を自由に出来るのです!無条件に…です。
逆説的な事を言えば、この無条件の自由意志に条件を設ける事も出来ます。
そして…全ての命の源である神と全く分離した世界を創ることも出来ます。(多くの人はその世界を地獄と呼んでいます)
でも、それはあくまで、バーチャルで、という意味合いですが…。
各個体は、自由意志で様々なバリエーションを創造しますが、神とつながったままであるのは変わらないからです。
それは原初的な楽園状態と言うべきか…
天国か地獄か…どちらに赴くも、それはあなたの自由です。
そこでは、全てが与えられてあるのではありません。
全ては可能性である、と言っていいかも分かりません。
人祖アダムが本当に夢見たパラダイスというのは、この世界だったのかも知れません。
私は、あの一なる普遍調和世界と区別して、至聖所と呼んでいます。
何人にも入ることが許されない、と言う意味で…
各個体の自治天国である至聖所は、断じて普遍世界の各パーツなどではありません。
もし、全体の一部にすぎないのであれば、個としての意味は無くなってしまいます。
個は個を生きてこそ、全体も生きる…個と全体は相即しているのです。
従って、この両界には確固たる境界などは在りません。
そして、このアダムが夢見た楽園,至聖所は地上的応現に関して絶対的な意味を有しています。
それは、大いなる根源的意志に対する、服従的でない、自由な呼応でしょう。
今、この世界は破局の相、普遍調和の相、どちらに転じようとしているのか…それは貴方と私次第です…。











コメント
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