ある特別集会の会場、檀上にはなんと!短刀が置かれていた…。そして講師の先生はこう叫んだといいます。
「もし、私が説いて止まない、この原始福音が間違っているのなら、この場でこれでノドを掻っ切って見せよう!」と…。
この人物こそ、おそらくキリスト教界のみならず、日本の宗教史上類を見ないであろう、原始福音神の幕屋のカリスマ牧者手島郁郎先生です。
先生は昭和48年12月25日(クリスマス!)に亡くなられているので、勿論私はお会いしたことはありません。
しかし、私にはその時に常軌を逸したようにも取れるエピソード、またその霊的滋味溢れた講話ともども、忘れる事の出来ない人物です。
私は昭和53年、手島先生を敬愛していた西村忠義という、これまた私には縁の深い人の著書で知りました。
初めは、日本=ユダヤ同祖論の系譜(「渡来民族の秦族=ユダヤ人」「伊勢神宮の神は、ヤハウエの神」などを説いていました)という興味でしかなかったのですが、たまたま入手した機関紙「生命の光」の特集号を見てまずは、ぶっ飛んでしまいました!
「こりゃあ、一体なんじゃい!」と…。
足なえは立つ…盲者の目が開かれた!こういうイエス時代さながらの奇跡の証の写真、記事(同じく現代の奇跡を売り物にしていたM教団も顔負けという感じです)…集団でハイになってるような集会の模様…ここには、果たしてこの世の常識などが通用するのだろうか?
ウーン、これはちょっと…さすがの私も如何にも怪しい新興宗教みたいで引いてしまいましたね。
ただ、手島先生の講話や論説には惹かれるところが有り、随所に見られる胸のすくような現代キリスト教会批判、とりわけ「無垢の愛」という罪の女を巡る、ヨハネ伝の講話は泣きながら読んだものでした。
以来、とにかく手島先生の書き物は読むだけで、ソクソクとバイブレーションみたいなものが伝わってくるので、書店で見つけては求めていました。
特に「聖霊の愛」という先生自賛の本などは、先生じゃないと書けないであろう、日本民族?向きの聖書講話です。
大体において、この幕屋運動は内村鑑三以来の無教会的テーマである、日本的キリスト教の具現というヴィジョンを掲げているのです。
まあ、そういう日本人の血の通った福音というものを、先生を通して肌で感じるところは確かにあります。
ただ先生に関して、もし私が幕屋のグループに関係していたとしたら…とても付いていけそうにない部分も多々あるのも事実です。
部外者だから言えるのかも分かりませんけど…例えば、特別集会では名物行事になってるという、火渡りの儀式!そう、修験者がやってるような荒行ですね。
先生はマタイ伝の講話の中で、イエスの荒野の悪魔からの試みについて「神を試みてはダメです!」と言っていたはずなんですが…
「汝の信仰を試す」という事でもあるのかも知れませんが…私なら小池辰雄先生に倣って、「私には信仰などありません!」とか言って断ろう…だって熱い、アブナイ、コワイでしょ…
雷が落ちるかも分かりませんけれども…私も「神に委ねることは命がけだ」とある意味思っていますが、意味は違います!
集会に招かれた何人かのゲストの方は「あれをやる必要があるのかどうか疑問だ」と証言していましたが、当然だと思います。
又先生の死の直前、イスラエルの国難の最中、都内でイスラエルの支援のための街頭行進をやったそうです。
これはどうしたって、パレスチナ問題がらみで、相対的イデオロギーに触れざるを得ない訳で、福音の純化を叫んでいた先生の真意はどうだったのだろうか?と感じてしまいます。
先生にはどうも心象に映ったものを直ちに、現実世界に移し替えてしまわずにおれないような、衝動に駆られる面が有ったようです。
このような極端とも思える先生の在り方をめぐり、分裂騒ぎが起きなかったのだろうかと思うのですが、ここが良くも悪くも稀代のカリスマたる所以なのでしょうか?
私は大阪で働いていたころ、二度程原始福音の集会に行った事が有ります。
その「わお!」と驚くような集会の模様には免疫が有るので慣れましたが、そのグループに何か宗教特有の個が飲まれてしまうような、集団的な力を感じてなじめませんでした。
ただ、そのシンプルで水を割らないお話の数々には、大いに鼓吹されたものです。
私は生前の先生は知らないですが、夢の中で会った事が有ります。
何やらユダヤ教寺院のような建物の中で、ユダヤ教法師のような恰好で顕れ、勿論親しい間柄ではないのですが、「君がここへ来たはなむけに何をあげようか…こんなのはどうかな?」といって按手のようなことをしてくれました。
すると、何やらビリビリッと…バイブレーションが…
そして何とも言えない心地よさの内に目が覚めたのですが…
バイブレーションはまだ私の全身に浸透し続けていたのです…。
「もし、私が説いて止まない、この原始福音が間違っているのなら、この場でこれでノドを掻っ切って見せよう!」と…。
この人物こそ、おそらくキリスト教界のみならず、日本の宗教史上類を見ないであろう、原始福音神の幕屋のカリスマ牧者手島郁郎先生です。
先生は昭和48年12月25日(クリスマス!)に亡くなられているので、勿論私はお会いしたことはありません。
しかし、私にはその時に常軌を逸したようにも取れるエピソード、またその霊的滋味溢れた講話ともども、忘れる事の出来ない人物です。
私は昭和53年、手島先生を敬愛していた西村忠義という、これまた私には縁の深い人の著書で知りました。
初めは、日本=ユダヤ同祖論の系譜(「渡来民族の秦族=ユダヤ人」「伊勢神宮の神は、ヤハウエの神」などを説いていました)という興味でしかなかったのですが、たまたま入手した機関紙「生命の光」の特集号を見てまずは、ぶっ飛んでしまいました!
「こりゃあ、一体なんじゃい!」と…。
足なえは立つ…盲者の目が開かれた!こういうイエス時代さながらの奇跡の証の写真、記事(同じく現代の奇跡を売り物にしていたM教団も顔負けという感じです)…集団でハイになってるような集会の模様…ここには、果たしてこの世の常識などが通用するのだろうか?
ウーン、これはちょっと…さすがの私も如何にも怪しい新興宗教みたいで引いてしまいましたね。
ただ、手島先生の講話や論説には惹かれるところが有り、随所に見られる胸のすくような現代キリスト教会批判、とりわけ「無垢の愛」という罪の女を巡る、ヨハネ伝の講話は泣きながら読んだものでした。
以来、とにかく手島先生の書き物は読むだけで、ソクソクとバイブレーションみたいなものが伝わってくるので、書店で見つけては求めていました。
特に「聖霊の愛」という先生自賛の本などは、先生じゃないと書けないであろう、日本民族?向きの聖書講話です。
大体において、この幕屋運動は内村鑑三以来の無教会的テーマである、日本的キリスト教の具現というヴィジョンを掲げているのです。
まあ、そういう日本人の血の通った福音というものを、先生を通して肌で感じるところは確かにあります。
ただ先生に関して、もし私が幕屋のグループに関係していたとしたら…とても付いていけそうにない部分も多々あるのも事実です。
部外者だから言えるのかも分かりませんけど…例えば、特別集会では名物行事になってるという、火渡りの儀式!そう、修験者がやってるような荒行ですね。
先生はマタイ伝の講話の中で、イエスの荒野の悪魔からの試みについて「神を試みてはダメです!」と言っていたはずなんですが…
「汝の信仰を試す」という事でもあるのかも知れませんが…私なら小池辰雄先生に倣って、「私には信仰などありません!」とか言って断ろう…だって熱い、アブナイ、コワイでしょ…
雷が落ちるかも分かりませんけれども…私も「神に委ねることは命がけだ」とある意味思っていますが、意味は違います!
集会に招かれた何人かのゲストの方は「あれをやる必要があるのかどうか疑問だ」と証言していましたが、当然だと思います。
又先生の死の直前、イスラエルの国難の最中、都内でイスラエルの支援のための街頭行進をやったそうです。
これはどうしたって、パレスチナ問題がらみで、相対的イデオロギーに触れざるを得ない訳で、福音の純化を叫んでいた先生の真意はどうだったのだろうか?と感じてしまいます。
先生にはどうも心象に映ったものを直ちに、現実世界に移し替えてしまわずにおれないような、衝動に駆られる面が有ったようです。
このような極端とも思える先生の在り方をめぐり、分裂騒ぎが起きなかったのだろうかと思うのですが、ここが良くも悪くも稀代のカリスマたる所以なのでしょうか?
私は大阪で働いていたころ、二度程原始福音の集会に行った事が有ります。
その「わお!」と驚くような集会の模様には免疫が有るので慣れましたが、そのグループに何か宗教特有の個が飲まれてしまうような、集団的な力を感じてなじめませんでした。
ただ、そのシンプルで水を割らないお話の数々には、大いに鼓吹されたものです。
私は生前の先生は知らないですが、夢の中で会った事が有ります。
何やらユダヤ教寺院のような建物の中で、ユダヤ教法師のような恰好で顕れ、勿論親しい間柄ではないのですが、「君がここへ来たはなむけに何をあげようか…こんなのはどうかな?」といって按手のようなことをしてくれました。
すると、何やらビリビリッと…バイブレーションが…
そして何とも言えない心地よさの内に目が覚めたのですが…
バイブレーションはまだ私の全身に浸透し続けていたのです…。