人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ホントのこと言って悪いですか!

2016-02-08 13:54:44 | 雑感
何時の頃からか”空気を読む、読めない”などと言われ出しましたね。
実に良くも悪くも、日本人ならではの空気感を感じさせる物言いです。
普段の私は面倒臭がりなので、黙って周りの空気に合わせるところが有ります。
ただ、何かのきっかけで揮発スイッチが入ると、空気を読まないどころか、その場をぶち壊してしまう事にもなり兼ねなくなります。
例えば、あるキリスト教系の集まりで、(私はそこへはリベラルな空気が有って、居心地易いであろうと思って生き始めたのでした)
そこである信者さんが、”伝道に使えるようなマニュアルみたいなものありませんか?”とそこの主催者の方に聞いたので、私はよせばいいのに感じたことをこのように言い放ったのでした。
”私にしたらマニュアルのような話を聞かされたって、有難くもなんとも無いですね! 自分がホントに信仰生活で有難く感じたことなどを伝えればいいんじゃないですか?”と。
すると、後日これが教務の方に伝わって、問題となったようでその主催者から「あなたのいう事は私もよく分かるが、上からのお達しが来たので、来会するのを遠慮してほしい…」という旨のことを告げられたことがあります。思わずその教会に殴り込んだろか!と思いました。
こういう事というのは、これまでも度々ありました。
ある種の宗教、スピ系では、例えば全く無反省に”前世が有る”といった言説が平然と語られたりします。
私は前世については肯定も否定もしません。過去世を読めない普通の人間にとってはこれは当たり前のことですよね。
それは”分からないこと”なのです。だから…
”OO先生は「前世が有る」と言ってる、その信者は皆それを信じてるらしい…あなたは?”などと訊かれても…
”知らん!分からんものは分からん!ホントのこと言って悪いですか!”
周りのその他大勢の醸し出す空気に任せても、何処へ飛んで行くか分かりません。
分からない事、確証の無いことを信じ込む程、バカらしいものはありません!
”前世の実在についての考究”といったもの自体は、私はあながち迷信とも妄信とも思っていません。
又実際に”実見”に基づく言説があれば、検討する価値も有るでしょう。
この事に関して前世も来世も現前というものと切り離されたら意味などないでしょう。
ただ”誰々がそう言った”、とか”教典にそう書いてあった…”というだけで、やみくもに信じ込むこと自体が迷信、妄信なのです!
そこには何一つ内省というものが有りません。思考停止の事態に陥っているのです。
だからいつまでもその界隈では、特有の迷信臭さ、胡散臭さ、学の無さ等々のニオイが付きまとっているのです。
宗祖なり、教師なりが表明したものは、それぞれホントに感じたままを述べているのかもわかりません。
でも、それに合わせ、迎合するだけでしたら一人一人のホントは生きて来ません。
一人一人の生きた現前~それは今深く感じている、思わされているままのこと~は蔑ろにされるからです。

私はスピ関係を生業にしよう、スピ・ビジネスをしようと思ったことは一度もありませんが、”もし自分が目下ビジネスとして展開していることが、本当に自分自身が深く信じていることとズレが生じだしたら、割り切ってビジネスはビジネスとしてやり続けるだろうか?” と想像すると…
そうなってみないと分からないですが、多分…ビジネスをたたむことを考えるだろうと思います。
私は平気で人を欺き、ウソを付きます。
ただ自分自身の魂だけは欺きたくありません。自分のホントを金に売るなんて…そうなったらビジネスどころか人生も潮時でしょう…
自分の魂の表明と何かのコマーシャルと結びつくというのは…”商魂”! ああ、いやだ、いやだ、想像するだに…スピ・ビジネスなどまっぴらです!










コメント
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