人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

オジサンの自由研究

2017-08-01 12:00:58 | 雑感
若い人たちには楽しい夏休みの真っ只中ですね。(よっぽどヘンな子じゃないと読んでないか...)
"ちゃんと計画的に宿題してまっか?" なーんてやった試しなど無い私ですが...
中三の時でしたか、宿題として「自由研究」というのが出されたのですが、これが私の楽しいはずの夏休みに灰色の影を落とす要因となっていたのです。
"自由研究って言うんだろ...要するに好きなことを自由に研究すれば良いってこと? じゃあ、プロレスとか怪獣とかでどうだろ..."と友人に"こんなんでいいの?"と伺うと..."いいわけないだろi バーカi"といったつれない言葉...
こうなると、"自由に出来ない研究の一体どこが自由研究なのかi"、"自由って一体何なんだよi"と次から次へと疑問がもたげだし、ついに幼年の頃からの宿業とも言うべき思考のがんじがらめ状態に陥ってしまったのでした。
つまり、自由ということについて考えてたら不自由な事態になってしまったのです。(笑)
結局私は夏休みが終わり、新学期の初日に至ってもその"不自由研究"は提出じまい...担任の教師にシコタマ怒られました。
"何でもいいんだからやりゃあいいじゃないかi"とか言って...
"何でもいいんだったら休みの初日にやってるワイ..."友人が悪いのか、"こうしなきゃイケマセン"という空気が漂う学校の空気が悪いのか、思考に嵌まるという人類の宿業が悪いのか...
結局"何でもいいから明日までにやれi"ということを言い渡され、もう、ヤケクソになってその日一日でそれらしきものを図解入りで、大学ノート一冊、いや半分くらいにして薄くして書きました。
都内を流れる川(中小河川に限定)について、その源はどこら辺で、どこに通じているのかとか、"神田川は、上流と下流では同じ川のようには全く見えない" とか、好きなことを書いた記憶があります。
たった一日で見てきたように書けました。実際に見ていて知っているのです。(霊体をとばしてる訳じゃないです)
この川こそはその時の私の救世主だったのです。
私が好きなもので、それらしき研究対象が電撃の如く閃いたのです。好きなことなら一日で出来る。
神田川の流路の筋など当時から地図を見ないでも書くことが出来ました。(他の道路とかは書けない)
今、この自由研究というものについて感ずることは...
手かせ足かせになるようなことばかり強いる学校の要請の中にあって..."こんなワクワクさせるものは無いなあ"というものです。
もう、何冊もノートに書けそうなくらいです。
今の私でしたら、誰が何と言おうと好きなことを自由に研究させてもらうことでしょう。
"フリッツ.フォン.エリックのアイアン.クローとバロン.フォン.ラシクのブレーン.クローでは手で掴む箇所が、角度が違うのである"とかね。
一応、研究ということでありますので、それらしきトレースは示さなければなりませぬ。
それで文句があると言うのなら"先生、自由研究の意味がなさないでしょう...自由とは一体何なのですか、ええ、どうなんですか..."
まあ、そういうようなことは、すっかりオジサンになった今だから息子みたいな先生に言えるんですけれども...
よくよく考えてみれば、ここで書いているようなことは、自由研究にケの生えたようなものですね。
書くのも自由だし、読むのも自由でなければならない。
滞るもの、遮るもの、がんじがらめになるものがあったら、自由でないということ...
そうした不自由をかこっている時に、コツネンとどっかから自由にさせてくれるものがあってこそ、自由なのですi

ああ...夕暮れ時の川の辺りの散歩は最高だ...。


 
コメント
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