人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

原爆と大調和世界

2017-08-06 13:03:09 | 秘教、その他団体
「時計を見ると午前八時間近をさしていました。私共も列の後尾につき乗車を待ったのですが、そのうちに一行の中の一人が"あれ、あれ"と空をさす声に見上げますと広島駅東方のはるか上空に、朝日に反射して銀色に照り輝く三点の動きのゆるやかな飛行機とも見える物体を目にしたのでございます。...
その美しさに見とれ"何と綺麗なi"と言いも終わらぬ一瞬、閃光がさっと全身を射したかと思うと、天空より来たごとき地軸を揺らがす大音響に前後を覚えず、気が付くと全空間が真っ暗となって何も見えません...」
「爆弾下の廃墟にしん吟するもの、投下した爆弾の成功を確信しつつあるもの。この二つは全く相異なった二つの運命を意味するものでございましょうか。今、世界は挙げて全く相反するすべてが対立の様相を無限に展開しつつありますが、この全く相反する対立は全く相異なる二つの運命でございましょうか。...」
「個人の問題、果たして個人の問題でありましょうか。民族の問題、果たして民族そのものの問題でしょうか。...人類の歴史がこの地上に始まってよりいくばくなるか。その長い歴史は今どこを目指して行こうとしているのでございましょう。...」
(命御述/大調和世界観についてー身.共生のはたらきー)

大調和協会において宣べられた、その自然調和世界を開くハタラキ、大調和世界観というものは、広島の原爆投下の惨状を通して産声を挙げたのです。
当時、その地で松本深敬師(後の命御様)を中心とした、「帰一生活道場」という求道団体があり、多くの関係者が被爆を被ったのでした。
(私は何度も高砂の大調和協会の会合に列席しましたが、集まる人の半数以上は、遠く広島から来られているのはここに理由があるのです)
その協会の前身とも言える、その団体での求道活動とは如何なるものだったかは、断片的にしか聞き及んでいませんが、相当に厳しいものであったようです。
それが...72年前のヒロシマの"火の洗礼"がすべてを変えてしまったのです。
それまでの、その峻厳なる求道を通して、こちら側からその亊物の中心へと帰一していくという方向軸から、"中心主体となるものそれ自体の方から、あちら側から出顕してくるものを感取させられた"ということが、当時の命御様における転換の有り様ではなかったか、と思われます。
それは又、一個人という一切のものから切り離された自己があるのではなく、自己は一切とのつながりにおいてある、"一切における私"というものの開示だったのです。
この事はしかし、この日本の西方の一都市の名も無き一群のみの上に起きた事に止まるものだったのでしょうか?
この核兵器の登場こそは、一コの有り様があらゆるものを壊滅に帰してしまう、という我々のすべてが恐るべき即応性の上に置かれていることを物語っているではありませんかi
このことこそが、一即一切の大調和世界とのパラレル、裏表の様相を表していることに私は驚愕を覚えずにいられませんi
一人の運命とは、日本、全世界、全人類の運命と不離のものとしてあるのです。
これは、人類歴史の業がそこに集約されたような、一即一切にわたる破壊的兵器の行使によって呼び覚まされたと言えるでしょう。
人類は否応なしにその裏表が一つに重なった一即一切の道に踏み入れざるを得ない運命にあるのです。

戦後生まれの私には原爆投下の惨状のことなど到底想像だにすることが出来ません。
しかし、私はこの世にあってずっと感じていました。
"このコンクリートの壁で覆われた世界には隠れた、もう一つのその固いベールが解かれなければならない、フタ開けがなされなければならないものがある。
それが表れなければ...何もかもおしまいだ..."と...


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