数ヶ月前、アラン.プライスのことを書いたのですが、彼が影響を受けたランディ.ニューマンのことを取り上げない訳には行きません。
彼は今や「トイ.ストーリー」など、映画音楽の世界ですっかりメジャーになりましたが、思えばこれは、彼の血筋のなせるところだったのでしょう。とりわけその巨匠として知られた伯父アルフレッド.ニューマンはじめ映画音楽で名をなした人が数人居たのです。
私が初めてニューマンのレコードを聴いた昭和49年(高三)の頃の彼は、当時ロック、ポップス界に一つの潮流をなしていたシンガー.ソング.ライター(S.S.W)の有能な存在の一人として目されていました。私と同じく、ずっと彼をS.S.Wのイメージで見ている人も多かろうと思います。
この頃の洋楽のもう一つの潮流は、映画「スティング」のサントラのラグタイム曲「エンターテイナー」を初めとしたノスタルジック.サウンドでした。
これに私の目敏い感性に火が付き、大枚はたいて買ったのが、彼のセカンド.アルバム「12ソングス」でした。(輸入盤。当時から希少レコードは見つけた時に買うのが鉄則でした)
全く何てこたあないシンプルなジャケット、タイトル...我が国で話題になったことなど聞いたこともない...
が...私は傑作の多い彼のレコードの中でも、これを偏愛しています。
ニューオーリンズ調R&B、デルタ調及びシティ調ブルース、カントリー、ヴォードヴィル...デビューアルバムで見せたティン.パン.アレイ調は影を潜めてますが、ニューマンは、ここでアメリカン.ルーツ.ミュージックのフレーバーをふんだんに取り入れています。
(私の音楽との関わりで欠かすことのできない、復古主義?傾向はここから発しているのですi)
そして歌われている内容は、悲しくも滑稽で、時にゾッとするような人生模様...
ストーカーまがいの妄想にかられる男の話(スザンヌ)、誰一人居ない夜のガソリンスタンドで、救いようのない寂しさを訴える従業員(イフ.ユー.ニード.オイル...これらで聴こえるスティール.ギターは、名手クラレンス.ホワイトでしょう)...カントリー調の曲はあるものの、あくまでも都会、中流階級に生きる人々に潜むわびしさ、狂気を、それを糾弾するでも、同調するでもなく、一語り部のように冷徹なまでに描いています。
そのシニカルな歌詞から、当時の音楽評論家の間では、「ニューマンは"病めるアメリカ"を浮き彫りにしているのだ...」などと述べられたりしていたものですが、実に隔世の感がしてきます。
今じゃもう病んでる状態はとっくに通りすぎて、すっかりオシャカになって地獄行きとなり、やっとこさ生まれ変わって再び不治の病に冒されている状態なのではないですか? 我々日本人はどうなのか? それとも人類は皆ずっと病んでいるのでしょうか?
いや...オカシイこと、ヘンなことはフツーなのでしょうか?
一日中ライスを食べ、子供たちはずっと遊んでいる
彼は家族を信頼しているのが分かるだろう
君と僕のようにね
(イエローマン)
ノスタルジックなヴォードヴィル調のバックで歌われるこの曲は、イントロからして中国人のことを歌っているんでしょうか...彼らは麺ばっかし食ってるんじゃないの? 何にしろ"健常なる"東洋人のことには違いないでしょう。そう、あなたと私のことですi
それにしても実に心地好いサウンド...いや...あの頃の私はそんなんじゃなかったのでした。...
限りなく灰色の夏休みの終わり...受験勉強など何も手がつかない...いつもの思考のがんじがらめ状態に陥っており、ある炎天下の中、あてどもなく皇居の周辺をさまよったことがあります。
空は青い? まっ黄色じゃないかi
ビルも、車も、人も何もかも黄色に見える...
ああ...日射(熱中)病になってみたい...頭の中のものがみな無くなっちゃえばいいんだ...
黄色がかって、ゆらゆらして蜃気楼のような風景...ずっとクラレンス.ホワイトのスティール.ギターが霞の中から聞こえてくるようにも耳から離れませんでした。
しかし...あれは確かに、蒸せかえるような密閉状態の中のわずかな隙間になっていたのでした...。
彼は今や「トイ.ストーリー」など、映画音楽の世界ですっかりメジャーになりましたが、思えばこれは、彼の血筋のなせるところだったのでしょう。とりわけその巨匠として知られた伯父アルフレッド.ニューマンはじめ映画音楽で名をなした人が数人居たのです。
私が初めてニューマンのレコードを聴いた昭和49年(高三)の頃の彼は、当時ロック、ポップス界に一つの潮流をなしていたシンガー.ソング.ライター(S.S.W)の有能な存在の一人として目されていました。私と同じく、ずっと彼をS.S.Wのイメージで見ている人も多かろうと思います。
この頃の洋楽のもう一つの潮流は、映画「スティング」のサントラのラグタイム曲「エンターテイナー」を初めとしたノスタルジック.サウンドでした。
これに私の目敏い感性に火が付き、大枚はたいて買ったのが、彼のセカンド.アルバム「12ソングス」でした。(輸入盤。当時から希少レコードは見つけた時に買うのが鉄則でした)
全く何てこたあないシンプルなジャケット、タイトル...我が国で話題になったことなど聞いたこともない...
が...私は傑作の多い彼のレコードの中でも、これを偏愛しています。
ニューオーリンズ調R&B、デルタ調及びシティ調ブルース、カントリー、ヴォードヴィル...デビューアルバムで見せたティン.パン.アレイ調は影を潜めてますが、ニューマンは、ここでアメリカン.ルーツ.ミュージックのフレーバーをふんだんに取り入れています。
(私の音楽との関わりで欠かすことのできない、復古主義?傾向はここから発しているのですi)
そして歌われている内容は、悲しくも滑稽で、時にゾッとするような人生模様...
ストーカーまがいの妄想にかられる男の話(スザンヌ)、誰一人居ない夜のガソリンスタンドで、救いようのない寂しさを訴える従業員(イフ.ユー.ニード.オイル...これらで聴こえるスティール.ギターは、名手クラレンス.ホワイトでしょう)...カントリー調の曲はあるものの、あくまでも都会、中流階級に生きる人々に潜むわびしさ、狂気を、それを糾弾するでも、同調するでもなく、一語り部のように冷徹なまでに描いています。
そのシニカルな歌詞から、当時の音楽評論家の間では、「ニューマンは"病めるアメリカ"を浮き彫りにしているのだ...」などと述べられたりしていたものですが、実に隔世の感がしてきます。
今じゃもう病んでる状態はとっくに通りすぎて、すっかりオシャカになって地獄行きとなり、やっとこさ生まれ変わって再び不治の病に冒されている状態なのではないですか? 我々日本人はどうなのか? それとも人類は皆ずっと病んでいるのでしょうか?
いや...オカシイこと、ヘンなことはフツーなのでしょうか?
一日中ライスを食べ、子供たちはずっと遊んでいる
彼は家族を信頼しているのが分かるだろう
君と僕のようにね
(イエローマン)
ノスタルジックなヴォードヴィル調のバックで歌われるこの曲は、イントロからして中国人のことを歌っているんでしょうか...彼らは麺ばっかし食ってるんじゃないの? 何にしろ"健常なる"東洋人のことには違いないでしょう。そう、あなたと私のことですi
それにしても実に心地好いサウンド...いや...あの頃の私はそんなんじゃなかったのでした。...
限りなく灰色の夏休みの終わり...受験勉強など何も手がつかない...いつもの思考のがんじがらめ状態に陥っており、ある炎天下の中、あてどもなく皇居の周辺をさまよったことがあります。
空は青い? まっ黄色じゃないかi
ビルも、車も、人も何もかも黄色に見える...
ああ...日射(熱中)病になってみたい...頭の中のものがみな無くなっちゃえばいいんだ...
黄色がかって、ゆらゆらして蜃気楼のような風景...ずっとクラレンス.ホワイトのスティール.ギターが霞の中から聞こえてくるようにも耳から離れませんでした。
しかし...あれは確かに、蒸せかえるような密閉状態の中のわずかな隙間になっていたのでした...。