人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

スピリチュアル雑感

2017-08-18 12:28:12 | スピリチュアル?
気が付けば、もう600件以上も記事を書いてきています。
モ少し読みやすいように、カテを整理しようかなと思いつつ、当初は"スピリチュアル"のカテで書こうと、当然のように考えていたのを思い出しました。
ところがその周辺のブログときたら、もう多く覚者、グルー、ライトワーカー、ヒーラー気取りの、妄想を掻き立て、予見、定見に満ちた言辞の押し付け、そこに商魂だくましさも加わり、そっちの世界に誘導するようなのばかり...こっちのザワザワ感、偏頭痛が半端ないという始末なのでした。
こういう渦には絶対巻き込まれたくないと、そういうカテで書くのに抵抗を感じていたのです。
かようにスピ界隈というのは(精神世界というカテがそのままその通称に移行した感がありますが)、きちんと整理、棲み分けがなされないまま、増幅されてきたようです。
スピリチュアルという言葉は、元々はキリスト教から来ているらしいです。
人の思い、力を越えた霊なるもの、聖霊、超自然的なもの(私の力で...とか空想、妄想とは関係が無さそうです)を言い表しているのです。
それは又言葉を超えたものです。つまり、私がずっと表し、伝えたいことだったなのです。
現実遊離の空想事でなく、この現実よりもリアルな現存へと導かれる...これがスピリチュアリティというものではないですかi
今までこうしたことを"哲学.思想"のカテで書いてきましたが、英語などの意味でも我々の精神こそはスピリットなのですi
スピリチュアルなものに源泉を持たない哲学などは無く(あっても意味など無い)、妄想に駈られ、定見に囚われるところに生きた精神など見出すべくも無いのですi(ベルジャーエフの口癖)
スピリチュアルは、今日では、心霊的なことと結びつけられることが多いようです。スピリチュアリズムと言ったら、もろ心霊主義ですね。
それによると"霊には色々あって、聖霊、守護霊などは善霊、浮遊霊、動物霊は悪霊"などと分類されるようです。
私はしかし、この両者には根本的な相異があるように感じています。
大体人の思いを超えたものが、何でそういう範疇で容易く語られ、容易く受け入れられてしまうのでしょうか?
色々な霊が居るように思われ、又それに相応した階層があるように思われるのは、正しく思いの中のことであり、悪霊、邪霊とかいうのは思念体といったものではないでしょうか?
本来のスピリットというものはこういう範疇を超えているはずなのです。
そして、それは我々の内なるスピリットと切り離されるものではない...切り離された時、思いは遊離し、思念がさまようでしょう。
という具合で、スピリチュアルなものと哲学はつながっているのです。
しかしまあ...気が付けば、何でもかんでも哲学.思想カテになってしまいました。
そこでブログを書いてる内に、自分なりに感じたスピリチュアリティをここいらで表してもいいかと思って、そこから分離させて新たにこのカテを設えて移行してみたら...何でもかんでも"スピリチュアル"になってもーた (笑)
これも根底であらゆるものとつながっているので仕方ありません。
それが表に顕わになるには分離が生じるもの...近い内にモ一つ分離があるかもしれません。急用が出来たり、メンドくさくならなければ...

ところで、このブログで新たにこのカテを設えたのですが、既に"雑感"というカテもあります。
今日の記事はどっちにしたらいいんだろう? どっちでもいい...カテなんてのは...今までもそうだったように...要するに気分の問題です...。

コメント
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