"ここでこうして生きてる私もこの世界も本当は実在なんかしていない...全ては夢の中のこと..."
ノンデュアリティの空論はおいといて、私には物心ついた時からどっかでこのような思いがくすぶり続けています。
まず記憶している限りの幼少時、(これは誰しもがその時分はそんな感じなのかもしれませんが)、現実にここに生きているとは、どういうことなのか、現実感というものが持てなかったのですが、これがずっとその後も私にもたげ続けていたのです。
この事をさらに、より深く、より鮮明に意識付けられることになったのは、主として父から知らされた、私にはこの上なく無情に思える次の二つの告知でした。
それはまず、小学校に上がる前だったか、"人間は死んで肉体は勿論、思いも何もかも無くなってしまう" ということ。
そして小学4年の頃、"世界はボタン一つで業火に焼かれ、人類は一瞬にして滅び去るという現実の上に我々は生きている"ということです。
私はこのことを知らされた時父に何度も食いつきました。
"ウソでしょう...僕を怖がらそうってんでしょう...そうに決まってる...だって...そんなこと信じられるわけないよi"とか...
自分自身にも何度も問いかけてみました。しかし、どうしてもその事を受け入れられません。
この二つのことを結びつけて考えると、なおさらそうならざるを得なくなります。
"今日、明日にでも皆滅亡してしまうかもしれない...それなのに皆その中で生きているというのか...何のために..."こんなにも空しいことがあるのか?
そして、私の眼前におかれたこの事情そのものは何一つ変わっていないのです。
改めて考えてみると...これは全く驚くべき事ですi 別の意味で信じられませんi
あれからもう、半世紀も経っているのです。
抜き差しならぬ状況の上に立っているこの世界が、まだ存続しているではありませんかi
学校でも、職場でも、どこでも私は散々見てきているのですi 否、自分自身を省みても嫌というほど見せ付けられている...
"人間はどうしようもないほど愚かだi 自分が何をしているのかもわからず、自分を制御することも出来ず、何かの拍子に取り返しのつかないことを仕出かすのだi そもそも自分が何ものであるかも分からずに..."
今にもどうなるか分からない中で、一体何によってこの世界は保たれているのでしょうか?
私には、ただ思われたままでこうして生きているという、現実をどうしても、こうしても信じることが出来ないのです。
しかし...私はこの信じられない世界の中だけで生きてきた訳ではありません。
私は物心ついた時から、そうとは知らずに生きてきたのです。
それは全くこのアヤフヤな世界の裏表にあるようなものです。
その別なるものについては、既にこのブログをお読み頂いている方には、敢えて述べる必要もないでしょう。
と言っても、ここで "神を信じたら、何事にも確信を持てるようになりますよ..."などと、安っぽい神信仰のことなど語りたくもありません。
いや、そうじゃない...この何とも愚かしくも、信じ難い現実と向き合おうとしないような神への言及など全て夢物語、戯言と言うべきでしょう。
この救いようのない空虚なる現実と離れて、もう一つの"信じざるを得ない現実"というものは現存してこないでしょう。
そして...この世界が幻想だろうと、現実だろうと我々は画面を眺めるように生き続ける訳には行かないのです。
生きている、生かされている、そう在らしめられている、ということは夢じゃないのだから...
ノンデュアリティの空論はおいといて、私には物心ついた時からどっかでこのような思いがくすぶり続けています。
まず記憶している限りの幼少時、(これは誰しもがその時分はそんな感じなのかもしれませんが)、現実にここに生きているとは、どういうことなのか、現実感というものが持てなかったのですが、これがずっとその後も私にもたげ続けていたのです。
この事をさらに、より深く、より鮮明に意識付けられることになったのは、主として父から知らされた、私にはこの上なく無情に思える次の二つの告知でした。
それはまず、小学校に上がる前だったか、"人間は死んで肉体は勿論、思いも何もかも無くなってしまう" ということ。
そして小学4年の頃、"世界はボタン一つで業火に焼かれ、人類は一瞬にして滅び去るという現実の上に我々は生きている"ということです。
私はこのことを知らされた時父に何度も食いつきました。
"ウソでしょう...僕を怖がらそうってんでしょう...そうに決まってる...だって...そんなこと信じられるわけないよi"とか...
自分自身にも何度も問いかけてみました。しかし、どうしてもその事を受け入れられません。
この二つのことを結びつけて考えると、なおさらそうならざるを得なくなります。
"今日、明日にでも皆滅亡してしまうかもしれない...それなのに皆その中で生きているというのか...何のために..."こんなにも空しいことがあるのか?
そして、私の眼前におかれたこの事情そのものは何一つ変わっていないのです。
改めて考えてみると...これは全く驚くべき事ですi 別の意味で信じられませんi
あれからもう、半世紀も経っているのです。
抜き差しならぬ状況の上に立っているこの世界が、まだ存続しているではありませんかi
学校でも、職場でも、どこでも私は散々見てきているのですi 否、自分自身を省みても嫌というほど見せ付けられている...
"人間はどうしようもないほど愚かだi 自分が何をしているのかもわからず、自分を制御することも出来ず、何かの拍子に取り返しのつかないことを仕出かすのだi そもそも自分が何ものであるかも分からずに..."
今にもどうなるか分からない中で、一体何によってこの世界は保たれているのでしょうか?
私には、ただ思われたままでこうして生きているという、現実をどうしても、こうしても信じることが出来ないのです。
しかし...私はこの信じられない世界の中だけで生きてきた訳ではありません。
私は物心ついた時から、そうとは知らずに生きてきたのです。
それは全くこのアヤフヤな世界の裏表にあるようなものです。
その別なるものについては、既にこのブログをお読み頂いている方には、敢えて述べる必要もないでしょう。
と言っても、ここで "神を信じたら、何事にも確信を持てるようになりますよ..."などと、安っぽい神信仰のことなど語りたくもありません。
いや、そうじゃない...この何とも愚かしくも、信じ難い現実と向き合おうとしないような神への言及など全て夢物語、戯言と言うべきでしょう。
この救いようのない空虚なる現実と離れて、もう一つの"信じざるを得ない現実"というものは現存してこないでしょう。
そして...この世界が幻想だろうと、現実だろうと我々は画面を眺めるように生き続ける訳には行かないのです。
生きている、生かされている、そう在らしめられている、ということは夢じゃないのだから...