私がチョイと知ってる五井先生の狂信者が、こないだ自分のブログで"、私は神の道とかお説教することが大キライです。そうするとますます神から遠ざかってしまうでしょう"、というようなこと書いていて、自分で自分がこれまでしてきたことを否定するようなことを書いていたのです。
こりゃ、そのブログの内容は、"腐った古木や汚れたシミなどを加工して芸術作品らしく見せたもの(これを拝見してみると...中々良いi)をご披露することに統一されるようになるのも時間の問題だな"、と思っていたのですが...早速やり初めましたよ、お説教を(笑)..."肉体の思いに囚われないで、元々神と一つであることを信じることですi"、みたいに...
この御仁は、自分が何を言っているのか、分からなくなってしまっているのでしょう。
狂信者には、その思いに囚われ続ける故に、中々神の道は開かれないでしょうが、何よりも内省というか、自分自身に意識を向けることが出来ないことが致命的と言えるでしょう。
と...いうように又、人を貶めるようなこと書いてしまいましたが...そのツケで"荒らし"に近いようなコメントをもらったりしちゃうのかな、と感じたりもします。
何しろ、それは余計な業を背負い込むことにつながる訳ですからね。分かっているつもりなのですが、どうにも抑え難いものがもたげてしまいまして...これは私の弱さを吐露していることには違いないでしょう。
でも、これは私が具体的に知っている、そのマヌケそうな(?)顔を思い描いて書いているのでして、全然、顔も素姓も分からない、直接縁のない人にはなるべく向けないつもりなのです(することもある)。
この人~Tさんとは9年くらい前から約2年間、五井先生に関係したある小集会で共にしたことがあるのです。
私は五井先生が帰神して数十年も経ち、旧来通りの在り方でなく、新時代に適応した五井先生への理解を深められれば、と勝手に思い描いて、その人もそういうことに同調してくれているようにも感じていたので、定期的に通っていたのでした。
その集まりで私は、"五井先生はしばしば全託ということを言われていましたが、古今東西あらゆる宗教的教えはそこに導かれざるを得ないでしょう..."、というようなことも述べたりもしましたが、するとTさん、何をごそごそしてるのかと思いきや、一生懸命メモってる(笑)
又、私は、"陰謀論とか前世とか未来予言とか、確かめようのないことを知ったりしても、いたずらに先入観を植え付けてしまうだけなんだからしょうがない"、とそれをたしめるようなことも言うと、"お、おっしゃる通りですね"と頷いていたのですが...まさか、その時は彼がそれに完全にハマりきった人間だとは思ってもみませんでした。
そして、ついにある時、彼が五井先生の狂信者だったということが判明したのです。
もう、その時の悔しさと言ったら...それをどこにぶつけていいか分からないくらいでした。二年間もそれに気付けなかったことも悔しいし、"分かってたらそんなものに付き合っちゃいない"、その無駄な二年間というものも悔しかったのです。
そういう思いが今でもどうしてももたげてしまうようなのです。
私はかように、一面ばかりが決めつけたように強調されたり、一人一人の個性的有り様を無視し、一色に塗りつぶさんとするような狂信的な言辞というものに過敏に反応することがあるのです。
これは私がかつて入信していた教団で、イヤというほどそういうものを味あわされたことに起因しているのです。
この問題は、人間存在というものが具体的な私やあなたが生きているだけではなく、集団的思念(すべての狂信性はこれと結び付いていると言ってもいいでしょう)の中で生きていることの宿命とも言えるでしょう。
ハマる人間というのは、多分自分が好きでハマっているのだからほっとけばいいのでしょう。
"だったら、エラそうに神と一つになるとか、覚醒するとか言うなi、ハマってる限りなれやしないんだから..."
と、又やってる始末で...ほっとけないみたい...余計なことなんでしょうけど、どっかでこの人も迷いのない道を歩んで欲しいという思いもあるのでしょう。共に学んだ中には違いないのだし...
あの悔しかった二年間というものも、どっかで懐かしい思い出になってるのでしょう。
どっちみち、これからはなるべく余計な業を他に投げかけたり、背負い込む種を撒かないようにしたいものです。
それで心が休まる訳が無いのですからね...今日は日曜、安息日なのでした。
安息...それが踏みじられるようなことになれば...もう、カーッと..."許さないぞ!"...
"ああ、神よi"
こりゃ、そのブログの内容は、"腐った古木や汚れたシミなどを加工して芸術作品らしく見せたもの(これを拝見してみると...中々良いi)をご披露することに統一されるようになるのも時間の問題だな"、と思っていたのですが...早速やり初めましたよ、お説教を(笑)..."肉体の思いに囚われないで、元々神と一つであることを信じることですi"、みたいに...
この御仁は、自分が何を言っているのか、分からなくなってしまっているのでしょう。
狂信者には、その思いに囚われ続ける故に、中々神の道は開かれないでしょうが、何よりも内省というか、自分自身に意識を向けることが出来ないことが致命的と言えるでしょう。
と...いうように又、人を貶めるようなこと書いてしまいましたが...そのツケで"荒らし"に近いようなコメントをもらったりしちゃうのかな、と感じたりもします。
何しろ、それは余計な業を背負い込むことにつながる訳ですからね。分かっているつもりなのですが、どうにも抑え難いものがもたげてしまいまして...これは私の弱さを吐露していることには違いないでしょう。
でも、これは私が具体的に知っている、そのマヌケそうな(?)顔を思い描いて書いているのでして、全然、顔も素姓も分からない、直接縁のない人にはなるべく向けないつもりなのです(することもある)。
この人~Tさんとは9年くらい前から約2年間、五井先生に関係したある小集会で共にしたことがあるのです。
私は五井先生が帰神して数十年も経ち、旧来通りの在り方でなく、新時代に適応した五井先生への理解を深められれば、と勝手に思い描いて、その人もそういうことに同調してくれているようにも感じていたので、定期的に通っていたのでした。
その集まりで私は、"五井先生はしばしば全託ということを言われていましたが、古今東西あらゆる宗教的教えはそこに導かれざるを得ないでしょう..."、というようなことも述べたりもしましたが、するとTさん、何をごそごそしてるのかと思いきや、一生懸命メモってる(笑)
又、私は、"陰謀論とか前世とか未来予言とか、確かめようのないことを知ったりしても、いたずらに先入観を植え付けてしまうだけなんだからしょうがない"、とそれをたしめるようなことも言うと、"お、おっしゃる通りですね"と頷いていたのですが...まさか、その時は彼がそれに完全にハマりきった人間だとは思ってもみませんでした。
そして、ついにある時、彼が五井先生の狂信者だったということが判明したのです。
もう、その時の悔しさと言ったら...それをどこにぶつけていいか分からないくらいでした。二年間もそれに気付けなかったことも悔しいし、"分かってたらそんなものに付き合っちゃいない"、その無駄な二年間というものも悔しかったのです。
そういう思いが今でもどうしてももたげてしまうようなのです。
私はかように、一面ばかりが決めつけたように強調されたり、一人一人の個性的有り様を無視し、一色に塗りつぶさんとするような狂信的な言辞というものに過敏に反応することがあるのです。
これは私がかつて入信していた教団で、イヤというほどそういうものを味あわされたことに起因しているのです。
この問題は、人間存在というものが具体的な私やあなたが生きているだけではなく、集団的思念(すべての狂信性はこれと結び付いていると言ってもいいでしょう)の中で生きていることの宿命とも言えるでしょう。
ハマる人間というのは、多分自分が好きでハマっているのだからほっとけばいいのでしょう。
"だったら、エラそうに神と一つになるとか、覚醒するとか言うなi、ハマってる限りなれやしないんだから..."
と、又やってる始末で...ほっとけないみたい...余計なことなんでしょうけど、どっかでこの人も迷いのない道を歩んで欲しいという思いもあるのでしょう。共に学んだ中には違いないのだし...
あの悔しかった二年間というものも、どっかで懐かしい思い出になってるのでしょう。
どっちみち、これからはなるべく余計な業を他に投げかけたり、背負い込む種を撒かないようにしたいものです。
それで心が休まる訳が無いのですからね...今日は日曜、安息日なのでした。
安息...それが踏みじられるようなことになれば...もう、カーッと..."許さないぞ!"...
"ああ、神よi"