私はこれまで風邪ぐらいしか、苦しくて寝込むほどの病気はしたことはないのですが、その中で覚えている限り重い状態になったのは、二年前の晩秋、肺炎の疑いのあるものに患ったもので、その次くらいのは、昭和53年の今頃の季節に患ったものだと思います。
確か友人と、杉並区の大宮公園に咲く鮮やかな夜桜を眺めながらほっつき歩いていた頃からおかしくなり、それから友人宅に行った時には、寝てないとシンドイ状態になっていました。
翌朝、そこから近い大学に行く予定で泊まることにしたのですが、あまりに苦しいので家に帰ることにしたのです。
確かこれが火曜日のことで、幾分良くなって観たテレビが夕方のプロレス中継(リック.フレアーというレスラーを初めて観たi)だったので、土曜日のことです。その間ずっと寝床で呻いていたのか記憶にありません。
それからそのまま快方に向かったのかというと...ずっと1ヶ月半くらい微熱が下がらない状態が続いたのです。
五月の連休に行われたボクシングの具志堅用高の防衛戦(相手はハイメ.リオスi)を観た時も変わらず、ようやく普段通りの状態になったのは、その翌週ぐらいだったでしょうか?
この間当時は意識していませんでしたが、恒常的にキンキンと何かが鳴り響いていたようでした。そう、それは耳鳴り。
今も鳴り響いています。これが過去の記憶をアリアリと呼び覚ますのでしょうか?
そんなに長いこと体調がすぐれない状態が続いていたにも関わらず、精神的には絶好調だったのですが、耳鳴りがそのバロメーターなのでしょうか?
風邪の時は、よく"ぶ~ん"というような鈍重な耳鳴りがするものですが、それだけではなかったのです。
体調はすぐれないながらも、意識は普段よりも明晰になっていて、何かに遮られる感じがしません。
"このまま直らないのではないか?"、という体調面での不安は幾分あったものの、何かに守られているという感じ、何かが内側から沸き立って来るような感じが覚えられていたのです。これがもっと具体的に感じられるようになったのは、数か月後のことでしたが...
私に当時実感されたのは、これは心身共に浄化が行われていた、ということです。とにかく共に軽くなることでそう感じるのです。
当時は五井先生を師と仰いでいて、定期的に道場へ通っていましたが、生まれて初めての経験であり、あるいはその"お浄め"の成果だったのかもしれません。
しかし、その間初めて手島先生にも出口聖師にもその書き物に触れるなどしていて、五井先生が伝えた行法を熱心に行じていた訳でもなく、一向専心というものなどではありませんでした。
イヤ、とにかく突然精神に新風が吹き込んで、それがそれまでの狭く閉じられた思いの枠を押し広げたという感じになって、そのすぐ後から始まった超宗派的な探求へとつながっていったのです。
何にせよ、この時春の風(風邪)がもたらしたものが、その後の"直接体験"の端緒となったとは言えるでしょう。
確か友人と、杉並区の大宮公園に咲く鮮やかな夜桜を眺めながらほっつき歩いていた頃からおかしくなり、それから友人宅に行った時には、寝てないとシンドイ状態になっていました。
翌朝、そこから近い大学に行く予定で泊まることにしたのですが、あまりに苦しいので家に帰ることにしたのです。
確かこれが火曜日のことで、幾分良くなって観たテレビが夕方のプロレス中継(リック.フレアーというレスラーを初めて観たi)だったので、土曜日のことです。その間ずっと寝床で呻いていたのか記憶にありません。
それからそのまま快方に向かったのかというと...ずっと1ヶ月半くらい微熱が下がらない状態が続いたのです。
五月の連休に行われたボクシングの具志堅用高の防衛戦(相手はハイメ.リオスi)を観た時も変わらず、ようやく普段通りの状態になったのは、その翌週ぐらいだったでしょうか?
この間当時は意識していませんでしたが、恒常的にキンキンと何かが鳴り響いていたようでした。そう、それは耳鳴り。
今も鳴り響いています。これが過去の記憶をアリアリと呼び覚ますのでしょうか?
そんなに長いこと体調がすぐれない状態が続いていたにも関わらず、精神的には絶好調だったのですが、耳鳴りがそのバロメーターなのでしょうか?
風邪の時は、よく"ぶ~ん"というような鈍重な耳鳴りがするものですが、それだけではなかったのです。
体調はすぐれないながらも、意識は普段よりも明晰になっていて、何かに遮られる感じがしません。
"このまま直らないのではないか?"、という体調面での不安は幾分あったものの、何かに守られているという感じ、何かが内側から沸き立って来るような感じが覚えられていたのです。これがもっと具体的に感じられるようになったのは、数か月後のことでしたが...
私に当時実感されたのは、これは心身共に浄化が行われていた、ということです。とにかく共に軽くなることでそう感じるのです。
当時は五井先生を師と仰いでいて、定期的に道場へ通っていましたが、生まれて初めての経験であり、あるいはその"お浄め"の成果だったのかもしれません。
しかし、その間初めて手島先生にも出口聖師にもその書き物に触れるなどしていて、五井先生が伝えた行法を熱心に行じていた訳でもなく、一向専心というものなどではありませんでした。
イヤ、とにかく突然精神に新風が吹き込んで、それがそれまでの狭く閉じられた思いの枠を押し広げたという感じになって、そのすぐ後から始まった超宗派的な探求へとつながっていったのです。
何にせよ、この時春の風(風邪)がもたらしたものが、その後の"直接体験"の端緒となったとは言えるでしょう。