人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

大事なものを置き忘れていませんか?

2021-04-28 12:00:04 | 雑感
小学校の頃、あるマスコットが可愛いので、持っていたら男子から"くだらねえ、幼稚だ、女みたいだi"、とか非難され、捨ててしまったことがありました。
"ああ、可愛そうな僕のマスコット..."
ホントは、大切にしたかったのです。親父なんかもこのことを知ったらきっとこう言っていたでしょう。
"いつまでも子供みたいなことしてるんじゃないぞi"、と。
年相応に、とか成長のためとかの理由付けというものは一応はあるでしょう。
大事なものを手離さなければならない事情というものもあるでしょう。
けれど、大切にしたい、好きでいたい感情を押し込めて、周りの声に迎合し、従ってしまうことを続けていたら、自分が本当に大切にしているもの、何に惹かれ、愛を感じているか、ということが分からなくなってしまうのではないでしょうか?
本当に大切なもの、最愛のもの...それは言うまでもなく自分にとってですi これを見失うことは、人生において大きな損失と言わねばなりません。
私の人生で、このように大切なものを置き忘れてしまったようなことが何度かありました。
最愛のものが何かが分からない大人になることが成長というものなのでしょうか? 
そもそも、自分が好きなもの、愛しているものを大切にすることが何で悪いのか?それで、他人の迷惑になるでしょうか? いや今は、それが蔑ろにされることで生じる歪みを思い知らされているのではないでしょうか?
その他大勢の規格に合わせ続けることで失われる感性...
あなたの人生は、世の中の人の人生じゃないのです。
"世間から笑われるぞi"...世間の人たちは、そのように笑い合い、中傷し、批判し合うか、そうでなければ機械の代行することしか出来ないのでしょう。そこには何も満たされることがありません。だから不満、ストレスを抱え、そうして発散し続けているのです。(終わりのない負の連鎖)
実際に顔と顔を見合わせている訳じゃないのに...見ていたとしても見ていない...世間の人間には顔が無いi...誰一人そういう人間など存在していないのだから...世間に従い、使われて、役に立たなくなったらボロ雑巾のように捨てられてゆくだけ...そこには世の中という神が君臨しているのか?...
惹かれてやまないもの、愛というものを感じられない、ということは神的なもの、思いを超えたものが分からない、ということです。
神を信じようと信じまいと、自分にとって何が最愛のものかと尋ねてゆけば、そのものに捉えられてしまう、落ちてしまう(これが思いが超えられるということなのですが)ということになって示されるでしょう。
こういう感性は、自分の人生で大事なものを置き忘れてきたことを思い出すことなどを通して養われるでしょう。
このことに年齢だとか男女別だとかは関係ないはずです。
こういうことを意識してからというもの、私はどうも年相応に生きていないのでしょう。
私は毎日、植物や動物の画像、動画を観て癒されているのですが、本当に"あの花は、蝶々は、猫は可愛いなあ"って感じられるのは、ここ最近になってからじゃないかと思います。
大事なものを忘れて無かったようです。
オカシイかな?...世間が何を言おうと知ったこっちゃないですが、自分でそう思ってりゃ世話ないか...。
コメント (1)
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