大調和協会の説くところは、会主松本命御様に覚証されたことに依っているのですが、それは一口に言えば、"人間存在は一個によりなっているのではなく、関係体とも言うべき、つながりにおいて在るのである"、というもので、本来個なるものと普遍なるものは、分離したものでなく調和として在るものであるということです。
これは、仏陀の縁起観を彷彿させるものであり、一頃ニュー.サイエンスなどでもよく類似した教えが説かれ、現在では一部スピ界隈では、"ワンネス"とか言われ、珍しいものではなくなってきていますね。
ただ、大調和協会で命御に目覚めさせられたものは、今までのそれら覚証された内容は、心、内面において示されたものであったものであるのに対し、現実世界に開示されたものとされているのです。
これは聞きようによっては、これまで幾多もの宗教で予言されていた、地上天国、ミロクの世、神の国の実現の実現と受け取られるかもしれませんが、あくまでもその雛型として、その命御、命位を中心とした大調和協会の周辺に現成されてあることを告げているのです。
それはそうでしょう、それらの実現は現実を見れば、ほど遠いもののようにしか映らないでしょうから...
私が縁あって、協会に求め、惹き付けられたのは、その神の国の雛型の現実とは如何なるものか、それにこの身を引っ提げて触れずにおれないものを感じたからに他なりません。
ということは、私はそれに触れる以前から、そういうものに縁付くような下地があったということです。
まず、私は求道の中で修行というもの、ひたすら努力を重ね、自分を高め、深めてゆく道に赴くことがありませんでした。
そういう機根が無いのは言うまでもありませんが、どうもそういう努力を重ねて行っても、求めているものが開かれるような感じがしてこないのです。
この当時は、自覚は持っていませんでしたが、この一個なる自分からは何も開かれてこない、ということをどっかで感じていたようです。
自分を超えたものに依らずしては...それは神なのか?
私には又、キリスト教と大本教に触れている、という下地もありました。
この両教に共通しているのは、その宣教の原点にあるのは、神の国、ミロクの世の到来を告げるものであり、その活動の拠点となる教会こそは、その雛型であるという原義が隠されているのです。
そして、私は求めるままに、何ものかに導かれるままに協会へ赴くことになった訳ですが、そこで現実に展開されているであろう、神の国の雛型に真向かいにまみえたのか、というと...そんな訳は無いi
全然無かったという訳ではないが...命位様との幾度かの交流...これはしかし、協会という集合体においてということとは言い難いでしょう。
そういうことでは、たった一度だけありましたが...しかし、皮肉にもそのことにより、私と協会は決裂するハメになってしまったのでした...。
これは、仏陀の縁起観を彷彿させるものであり、一頃ニュー.サイエンスなどでもよく類似した教えが説かれ、現在では一部スピ界隈では、"ワンネス"とか言われ、珍しいものではなくなってきていますね。
ただ、大調和協会で命御に目覚めさせられたものは、今までのそれら覚証された内容は、心、内面において示されたものであったものであるのに対し、現実世界に開示されたものとされているのです。
これは聞きようによっては、これまで幾多もの宗教で予言されていた、地上天国、ミロクの世、神の国の実現の実現と受け取られるかもしれませんが、あくまでもその雛型として、その命御、命位を中心とした大調和協会の周辺に現成されてあることを告げているのです。
それはそうでしょう、それらの実現は現実を見れば、ほど遠いもののようにしか映らないでしょうから...
私が縁あって、協会に求め、惹き付けられたのは、その神の国の雛型の現実とは如何なるものか、それにこの身を引っ提げて触れずにおれないものを感じたからに他なりません。
ということは、私はそれに触れる以前から、そういうものに縁付くような下地があったということです。
まず、私は求道の中で修行というもの、ひたすら努力を重ね、自分を高め、深めてゆく道に赴くことがありませんでした。
そういう機根が無いのは言うまでもありませんが、どうもそういう努力を重ねて行っても、求めているものが開かれるような感じがしてこないのです。
この当時は、自覚は持っていませんでしたが、この一個なる自分からは何も開かれてこない、ということをどっかで感じていたようです。
自分を超えたものに依らずしては...それは神なのか?
私には又、キリスト教と大本教に触れている、という下地もありました。
この両教に共通しているのは、その宣教の原点にあるのは、神の国、ミロクの世の到来を告げるものであり、その活動の拠点となる教会こそは、その雛型であるという原義が隠されているのです。
そして、私は求めるままに、何ものかに導かれるままに協会へ赴くことになった訳ですが、そこで現実に展開されているであろう、神の国の雛型に真向かいにまみえたのか、というと...そんな訳は無いi
全然無かったという訳ではないが...命位様との幾度かの交流...これはしかし、協会という集合体においてということとは言い難いでしょう。
そういうことでは、たった一度だけありましたが...しかし、皮肉にもそのことにより、私と協会は決裂するハメになってしまったのでした...。