人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

終わりは見えない

2021-11-25 12:16:23 | 雑感
"信号が変わったi...向こうから大きな塊が向かってくるi...あれは一体どこに向かおうとしているのだろう..."

一昨日の休日、池袋に行ったのですが、駅前には沢山の人波で溢れかえっておりました。
"久しぶりにこういうのに接したなあ...いつ以来だろ?"...そして、どうしても過らされるのは、"大丈夫なんか?"という思い...
コロナ自粛前の人々の日常意識に戻ったのでしょうか? 終息の安堵感が漂っているんでしょうか?
確かに、ここ数ヶ月前から感染者数は激減しています。晩秋ともなり、寒風も吹くようになって、いよいよその波の新たな到来も予想されるというのに...
だけど、隣の韓国では、1日数千単位で感染者は急増していると言うではないかi
コロナの終息は、一国だけで測ることなど不可能、ナンセンスでしょう。
少なくとも、私にはまだ..."終わりは見えないi"
昨日朝、ある飲食店で、老人がマスクもせずに派手に"ごほ、ごほ"やってたゾi

全くこのコロナってヤツは、私には何から何まで分からないことだらけ、予想がつきません。
二年前の今頃、私が突如人伝に聞く、コロナの症状とよく似た肺炎みたいな病に患かってしまったのも今となっては謎ですi
"これはただの風邪じゃないのか?...何故、熱が下がらないんだi、何故セキが出そうで、出ないんだi、詰まるということがこんなにも苦しいものだとはi...一体、いつまで続くのか、終わりが見えないi..."
私がコロナの名前を初めて聞いたのは、それから約二ヶ月後のことでした。
自分で言うのもおかしいですが、そうして病床でうめいていた私のことを思うと、今でも涙が出そうになります。"全く、お前ってヤツはi"
ただ、うめくように祈っているしかない私。
喉、胸辺りの詰まりが解かれんことを...いや、それは思いを超えた、"形なき命"の流れが、あのパッと何かが開かれる感じが途絶えてしまったことが、回復されることに重ねられていたのです。
"あれが、あれが通って下さらなければ...通らせて下さい、このトンネルが早く抜けますように..."
その祈りは、私個人を超えたもののように感じられました。
というのは、そこに横たわっているものは、私個人を超えた、ある何かが絡まったような、自他の区別のつかない、一つの塊のように感じられたからに他なりません。
それは人類とか世界とかいったものなんかじゃありません。そんな抽象的に思い描かれるようなことには意識が回らない状態だったのですから...
"何が病んでいるのか、何が苦しんでいるのか? とにかくここに命が通って欲しい、光が差し込んで欲しい..."
そう、性懲りもなく祈り続けるしかありませんでした。いや、祈り続けられねばならないi
たとえコロナが終息しても、しなくても...
世界人類とか遠大なことは分かりません。しかしこの"塊"は、一つの問題が解決したとしてもどうにもならないのではないか?
くんずほぐれつ絡まる業の塊...
そこに形なき命が通い、光が差し込むことに終わることは無いのでしょう...。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする