人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

開かれる、なってくる!

2023-09-06 09:50:15 | スピリチュアル
私は、精神的な道において、自分自身に意識を向けることが如何に大切なことか、と言って来ました。
それが出来なきゃ、悟りだ、覚醒だ、なんてことは夢の又夢なんだ!...って、そういうこともあるかもしれないが...そういうことでもないのです。ちなみに私はそういうことを意志的な努力でやったことないですよ!...つまり出来た試しは無い!
こういうこと(自分が自分であるだけのこと)は、出来る、出来ないって問題でもないでしょうが、“思いから離れる、超える“、なんてこた、絶対でけへん話ですね。
出来なかったら、出来なかったでいい!...出来ないんだから!...
ただ、神的なものに意識を向けていたらいいのです!...思いをそこに入れる、要するに祈る、祈入(小池先生の造語)。そうなると、もう、それ自体、自分自身の“実存的なものが開かれる“ことと同じことになってしまうのです。勿論、自然に思いは離れてゆきます。
この“開かれる“、ということで、超越的なもの(神的な現臨)が開かれることを伝えているのです。
思い、為そうとする私は、そのものに明け渡される...
な~んて、事もなげに書いちゃってますけど...これは、も、本当に、ホント~に驚くべきことを言っているんですよ!
私は何でもありません。ダメなまま、出来んヤツのまま...“長年の修行でそういう境地に到達したのです、私は無になりました、空になりました“...そういう我心がどこまでもくっついて回る世界のことでは全く無いのです!...
言うなれば場が違うのです!...そういう現臨の場にあってそうなるということ...為そうとするのでなく、“なってくる“ということなのです。
ちょうど画面をちょいとタッチしたら、開かれる、なってくる、というネット社会に対応しているかのようです。
ただ、画面をタッチしたら、愛と平安に包まれるということはありませんが...
あれはヴァーチャル空間からは伝わりません。
思い描いているだけの世界からも...
これはただのお話ではありません。我々の現実のことなのです。
意識しなければなりません。祈りを通して...
出来ない人っていうのは、ハナっからその気のない人でしょう?
コメント
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