人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

失われたものは大きい!

2023-09-18 09:30:25 | 
神の実体は分からないし、実在するかどうかも分かりません。
しかし、言葉の言い回しに留意して欲しいのですが、私には神的なものの実存を疑うことが出来ません!
それは、私の実存を疑うことが出来ないことと等しいことなのです。
実体は何か分からないが、どうして思い、為そうとする私を超えて、その超えた方に惹きつけてやまないものを感じてしまうのか?...そうなることで私はより私自身になってゆく...
そして、そこには愛、平安、リアリティがある!
これは、物心付いてからの私の人生で、確かに長い間失われていたものに違いありません。
そう、確かにそれは失われたものという感覚なのです。
ということは、それは記憶の定かでない過去には感じられていた、ということなのでしょう?
いや、私の中のどこかに何かで覆われて隠れていたもの、と言った方が正確なのかもしれません。
だから、何にも無くなってしまって、ゼロからそれを見つけよう、得よう、又はそれが得られる境地に達しようとすることは、ほとんど不可能なことに思えます。
これは、想像ですが、有史以前、所謂神世の時代というものはあったと私は思っています。
そこでは神と人は一体であった...しかし、文字が生まれて神話という形でそうしたことを伝えておりますが、どうも既にその頃には神人の分離が始まっていたように感じてなりません。
恐れるもの、支配するもの、神々は我々の対象として描かれているばかりではありませんか?
祖先たる我々が居て、その上に君臨する神...神世の時代というのは、おそらく、この主客は逆だったのでしょう。
神は主である!...神があって人がある、神にあって!...
神にあるから、神人は一つのものなのではないか?
人間が主になる時、分離が始まる...神は隠れたもうた!
そして、見えない、感じられない神に人間に超然として、支配するものを投影した!
愛、平安を失った我々の奴隷的精神を!...
それは、禁断の果実を食したことで、神の逆鱗に触れたことによるのでしょうか?
いやいや、そんなものは、今の今感じていることの説明のつかないことなのですよ!
”私はここに在る...お前はどこに居る?、私からもう離れないで欲しい!”
神世の昔、一体神と人の間に何が起きたのかは分かりません。
ただ、人間の一人歩きが始まったのは確かなことでしょう。
ただ、失われたものはあまりにも大きかった!
それにより、人間のすべてを失うことにもなりかねないではないか!
愛、安らぎ...あなたはそれは元々無いもののように感じていますか?
それとも、それは失われたものなのでしょうか?
失われたものは回復出来る!...否それは自然に回復されるものでしょう。
あなたの主に、否主ご自身を望めばいいのです。
あなたがそれを望みさえすれば!
失われたものはあまりにも大きすぎる!
愛、平安そして神そのものの回復...すべての生においてこれほど大きいものなどあるだろうか?!
コメント
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