私はね、精神的な道を歩み始めて僅か一年半くらいで、驚くべき神的現臨に与ることが出来たのですよ!...これはもう一種の宗教的天才と言っていいかもしれません。
人は幸福にならんがために信仰なり修行なりに赴くものでしょう。
しかし、そういう思いを超えて幸福に与っちゃったらどうするのか?
それは修行の賜物なのか?...そんな努力したこたないねえ...道を求めて1年半で探求の終わり?...ああ、何とつまらん人生だことよ!!
しっかし、それがあーた、又一年半ですっかり消えてしまったではありませんか!...これは別の意味で驚きですよ!...それが無くなったら元より何の取り柄もない私のこと、普通以下、いやサイテーの人間に成り下がるしかありません。
まあ、こう書いてみると、何でそれが消えてしまったか、分かる人には分かるでしょう?
しかし、あの驚くべき、神に捉えられて人生の裏側に足を踏み入れたのは、その消えていた期間でのことなのでした。これこそは本当に魂から望んていたことだったのです。幸福と確信に満ちた私の人生は約束されたも同然ではないか?
しかし...それも数日後元の黙阿弥となり、あろうことかその約一年後、生来の私の持病とも言える、思考のがんじがらめ、ノイローゼ状態の地獄の日々を送ることになろうとは!...これは驚きだ!、何でそーなるの?...なるべくしてなったのです。私はこのように、人一倍自我心の強い人間だったからでしょう。
今では考えられんことです。今はね、思いに囚われそうになったら、自然と神的なものに向けられ、パッと離れることが出来ます。ま、自我心を克服したってことでしょう。
約二十五年くらい前から現臨感も定着するようになり、ブログを始めてからよりそれが深まり今日に至っている次第です。
な~んて!...騙されちゃなりません!...これは自我心というものがどういうものかを示しているんですよ!...それを克服した、無きものにしたと、又自分をどうこうして得た、到達した、と思いたがるものなんです!
そのものが定着したのは、正に自分をどうこうしようとか、あの至福をもう一度、との思いを諦めたことに拠るのです。これは又何とも逆説的で驚くべきことです。
自我を克服する、欲望、思考を無くして空になる...これすべて出来もしないことばかりではありませんか!...誰がそんなこと考え続けているのか?
私の精神的な道、否人生は自我を克服するとか、空になるとかのためにあるんじゃありません。
愛、平安に与らんがため?...それがたとえ自我心からだろうと、それはそうでしょう。それを求めない人間など居るだろうか?...
しかしそれが自我心と結びつくとすれば、それだけがあるものと切り離されてしまう時でしょう。
そうです!…それは神的なものにあって、その当体、源泉にあってのものなのです。
そのものあっての私、私の人生なのです!...本当に伝えたいことはこれに尽きます!
自我が強かろうが、弱かろうがほっといたらいいのです。
この世に生きている限りそれが無くなる訳がないのですから...
それにしても、今も尚ガンバリ続けているこの終生治らないであろう、我心の強い人間が何でこんなことになってしまったのか?...それが一番の驚きでなくて何であろうか?!
人は幸福にならんがために信仰なり修行なりに赴くものでしょう。
しかし、そういう思いを超えて幸福に与っちゃったらどうするのか?
それは修行の賜物なのか?...そんな努力したこたないねえ...道を求めて1年半で探求の終わり?...ああ、何とつまらん人生だことよ!!
しっかし、それがあーた、又一年半ですっかり消えてしまったではありませんか!...これは別の意味で驚きですよ!...それが無くなったら元より何の取り柄もない私のこと、普通以下、いやサイテーの人間に成り下がるしかありません。
まあ、こう書いてみると、何でそれが消えてしまったか、分かる人には分かるでしょう?
しかし、あの驚くべき、神に捉えられて人生の裏側に足を踏み入れたのは、その消えていた期間でのことなのでした。これこそは本当に魂から望んていたことだったのです。幸福と確信に満ちた私の人生は約束されたも同然ではないか?
しかし...それも数日後元の黙阿弥となり、あろうことかその約一年後、生来の私の持病とも言える、思考のがんじがらめ、ノイローゼ状態の地獄の日々を送ることになろうとは!...これは驚きだ!、何でそーなるの?...なるべくしてなったのです。私はこのように、人一倍自我心の強い人間だったからでしょう。
今では考えられんことです。今はね、思いに囚われそうになったら、自然と神的なものに向けられ、パッと離れることが出来ます。ま、自我心を克服したってことでしょう。
約二十五年くらい前から現臨感も定着するようになり、ブログを始めてからよりそれが深まり今日に至っている次第です。
な~んて!...騙されちゃなりません!...これは自我心というものがどういうものかを示しているんですよ!...それを克服した、無きものにしたと、又自分をどうこうして得た、到達した、と思いたがるものなんです!
そのものが定着したのは、正に自分をどうこうしようとか、あの至福をもう一度、との思いを諦めたことに拠るのです。これは又何とも逆説的で驚くべきことです。
自我を克服する、欲望、思考を無くして空になる...これすべて出来もしないことばかりではありませんか!...誰がそんなこと考え続けているのか?
私の精神的な道、否人生は自我を克服するとか、空になるとかのためにあるんじゃありません。
愛、平安に与らんがため?...それがたとえ自我心からだろうと、それはそうでしょう。それを求めない人間など居るだろうか?...
しかしそれが自我心と結びつくとすれば、それだけがあるものと切り離されてしまう時でしょう。
そうです!…それは神的なものにあって、その当体、源泉にあってのものなのです。
そのものあっての私、私の人生なのです!...本当に伝えたいことはこれに尽きます!
自我が強かろうが、弱かろうがほっといたらいいのです。
この世に生きている限りそれが無くなる訳がないのですから...
それにしても、今も尚ガンバリ続けているこの終生治らないであろう、我心の強い人間が何でこんなことになってしまったのか?...それが一番の驚きでなくて何であろうか?!