又々、懲りずにあっちの坂道からお題を拝借しちゃいました。
だって、私のためにあるようなのが多くて!...
でも、内容は元のものとは直接関係ありません。あくまで”人生の裏側”に即しているのです。...
私は夢を二度見たことが何度もあります。
大体、最初の夢は悪い、コワイものが多いです。
例えば、ヤバそうな人に追っかけられて、追い詰められて、いよいよピンチという時に、あるヒラメキが降りてきて、”大丈夫だ、だってこれは夢なんだ!”、って気が付くのです。
そおして、目が覚めて、朝です。”ああ、良かった、夢かあ!”、と家でノンビリ朝食を取っている...そこへ、自慢の美人の奥さんが、”あなた、コーヒーのおかわり、いかが...”なんて声をかけてきたりして...
ところが、そこで、どうもオカシイことに又気が付くのです。
”誰だ、君は?、”かっきー”か、”よだちゃん”か?...私は結婚なんてしてないぞ!、それにこの私に不相応な白い大きな家は一体どこなんだ?”、と。
”ははーん、これは二度目の夢なんだ!、今度こそホントに目覚めなきゃ!”、と、ほとんどはそこで”本格的に”目覚めるのです。三度目の夢は見たことありません。今のところ。それは多分無いでしょう。
つまり、夢を二度見るということは、二度目覚めることでもあるのです。
これが感じられる人は、この何がホントだか分からない、幻想に満ちた現実世界から目覚められる、かもしれない...こういうことをスピ界では”覚醒体験”とか言っているのです。
これは、文字通り”目覚めた!”、という強烈な感覚を伴っているのですが...
だが、待てよ!...インド哲学では、この世界は幻想だと説いているし、その、覚醒したこと自体も、ホントはアストラルだか、エーテルだかの中途のレベルのものかもしれないし、本当の目覚めた世界かどうかは、ホントは分からないのです。
もし、そこに信じ難いもの、疑わしきものが感じられるのなら、真実に目覚める可能性はあるでしょう。
しかし、そのように否定しようとする意志が及ばなくなってしまったら、言い換えれば、そういう思考機能が後退してしまったなら、それを確かめるにも、為すすべは無いでしょう。
その上、そこに至福というものが感じられるのなら、そこから覚めようとも思わないのではないでしょうか?
”そいつは夢だ、現実に目覚めなきゃあ、ダメだ!”、とガンバル大人は言うかもしれません。
だけど、そうやって、毎日毎日、シンドイ思いして、終わりなき日常を送ることの方が夢かも知れないのですよ。
朝、目覚める...そして、”あの苦しい思いは夢のように消えてしまっている!”と感じたことも何度もあります。
それは、すべてが新しくて、幸福な朝なのです。これはどうも夢の続きらしい...
そう、夢から覚めても幸福感が続いている...
もはや、夢でも現実でもいいではないか!...人生が夢なら夢でもいい!
ツラい現実は覚めることが出来ます。覚めたそこにはあの幸福があるのです。見てる現実はそのままでもその本来的幸福は感じられるのです。
これは、夢か?...そうとしたら、二度目の夢に違いない!
一度目よりもずっとリアルなんだから!...
人は夢を二度見る...
だって、私のためにあるようなのが多くて!...
でも、内容は元のものとは直接関係ありません。あくまで”人生の裏側”に即しているのです。...
私は夢を二度見たことが何度もあります。
大体、最初の夢は悪い、コワイものが多いです。
例えば、ヤバそうな人に追っかけられて、追い詰められて、いよいよピンチという時に、あるヒラメキが降りてきて、”大丈夫だ、だってこれは夢なんだ!”、って気が付くのです。
そおして、目が覚めて、朝です。”ああ、良かった、夢かあ!”、と家でノンビリ朝食を取っている...そこへ、自慢の美人の奥さんが、”あなた、コーヒーのおかわり、いかが...”なんて声をかけてきたりして...
ところが、そこで、どうもオカシイことに又気が付くのです。
”誰だ、君は?、”かっきー”か、”よだちゃん”か?...私は結婚なんてしてないぞ!、それにこの私に不相応な白い大きな家は一体どこなんだ?”、と。
”ははーん、これは二度目の夢なんだ!、今度こそホントに目覚めなきゃ!”、と、ほとんどはそこで”本格的に”目覚めるのです。三度目の夢は見たことありません。今のところ。それは多分無いでしょう。
つまり、夢を二度見るということは、二度目覚めることでもあるのです。
これが感じられる人は、この何がホントだか分からない、幻想に満ちた現実世界から目覚められる、かもしれない...こういうことをスピ界では”覚醒体験”とか言っているのです。
これは、文字通り”目覚めた!”、という強烈な感覚を伴っているのですが...
だが、待てよ!...インド哲学では、この世界は幻想だと説いているし、その、覚醒したこと自体も、ホントはアストラルだか、エーテルだかの中途のレベルのものかもしれないし、本当の目覚めた世界かどうかは、ホントは分からないのです。
もし、そこに信じ難いもの、疑わしきものが感じられるのなら、真実に目覚める可能性はあるでしょう。
しかし、そのように否定しようとする意志が及ばなくなってしまったら、言い換えれば、そういう思考機能が後退してしまったなら、それを確かめるにも、為すすべは無いでしょう。
その上、そこに至福というものが感じられるのなら、そこから覚めようとも思わないのではないでしょうか?
”そいつは夢だ、現実に目覚めなきゃあ、ダメだ!”、とガンバル大人は言うかもしれません。
だけど、そうやって、毎日毎日、シンドイ思いして、終わりなき日常を送ることの方が夢かも知れないのですよ。
朝、目覚める...そして、”あの苦しい思いは夢のように消えてしまっている!”と感じたことも何度もあります。
それは、すべてが新しくて、幸福な朝なのです。これはどうも夢の続きらしい...
そう、夢から覚めても幸福感が続いている...
もはや、夢でも現実でもいいではないか!...人生が夢なら夢でもいい!
ツラい現実は覚めることが出来ます。覚めたそこにはあの幸福があるのです。見てる現実はそのままでもその本来的幸福は感じられるのです。
これは、夢か?...そうとしたら、二度目の夢に違いない!
一度目よりもずっとリアルなんだから!...
人は夢を二度見る...
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