人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神人の新時代

2015-01-06 18:05:36 | 哲学・思想
平成10年の夏、私はある人に実にエモーショナル?な手紙をしたためた事が有りました。
それを貰った当人は、それをどう読み、どう理解したか、あるいは全く理解出来なかったかは知る由も有りません。
数日後、お会いした時の彼の印象は…何だか顔をひきつらせていたように見えました。(笑)
それを見た私は敢えて読んだ感想を聞くのをためらいました。(笑)
あの時私はまだ若かった…
丁度その時、10数年ぶりに昭和58年夏のあの人生の裏側に踏み入れた時の感覚がまざまざと蘇り、新たなとても大きな気づきを与えられたのです。
それは「個人のこの私が目覚めた、ということでは無かった!、自分がコレコレの体験をしたというのはズレたとり方だ!」ということです。
そしてあれほど表現したくても、言葉が全く出てこなかったのに、もう一気呵成に便せん十枚ぐらい書き殴ってしまいました。
要するに私がそれに駆られたのは、この歓喜の瞬間を是非モニュメントとして残したい、という衝動からだったのです。
しかし、その文字が舞い踊ってるであろう、その手紙は今私の手元には無い…何を書いたっけ?
ハッキリ覚えているのは「これからは神人の時代になるであろう!」「今、私を通し私の内なる神人が顕れた!」
「人間、否人類の本体は大神人である」…
こんな言葉が電撃の様に閃いては、ペンを躍らせていました。
目覚めの真の主体者として、神人という表現を使っていたのです。
それは又ある時は、見えざる導師として顕れるのも指しています。
何で又そんな表現が突如浮上したかは、今となっては分かりませんが、私がインスパイアを受けたであろう人物の三人の名前はもうハッキリしてます。
出口王仁三郎聖師、19世紀、20世紀の二人のロシアの哲学者ソロヴィヨフ、ベルジャーエフです。
出口聖師は「霊界物語」の中で、天国巡覧の模様を述べております。
「高天原は一個の大神人である」「神人の大本か大本の神人かと言うべきほどのものである」個々の天界は単一の神人であり、その無数の肢体からなる統合体を大神人と言っております。
ウラジミール・ソロヴィヨフは、哲学のみならず、黙示に満ちた文学、詩を残して死後も革命前まで影響力を持った人です。
出口聖師は彼の書物を読んだか、どうか定かではありませんが、彼の神人論はまるで、聖師の天界のヴィジョンが地上に応現したかのような展開を見せます。
「個的にして普遍的な存在、…全世界に及ぶ有機体の永遠の霊的な中心」として述べられるのが神人キリストです。
人類はその神人において統合される、その具体的な顕現として、二分された西欧教会と東方正教会の統合よりなる万有普遍教会を構想しました。
ベルジャーエフは、ソロヴィヨフからも多大な影響を受けましたが、彼がソボールノスチと呼んだ普遍的共同体は、内的観点では、ソロヴィヨフと似たトーンで語られますが、彼よりはずっと実存的なもので、具体的な可見的な教会と結びつけられることは有りませんでした。
それより神と人の関係は彼の哲学の基調と言ってもよく、こう言ってよければ彼の哲学の源泉は彼の内なる神人キリストそのものだったと言えるでしょう。
「現在は神の八日目の創造の真っただ中である。この世界創造の過程は神人の協調によって成される」
私はこの協調というのは顕れ出ようとする神と、それにつながろうとする我々の呼応と理解しています。
又、晩年の彼はこんな著しい言葉も残しています「神が在って、人が在るのではない、神人のみが在るのである」

つらつら思い返しても当時以上のことに触れていたという記憶はありません。
ただ私の中で、神人というものは自分の本体という理解のみならず、個的なものを超えた共同体的なものに向けられていたのは明らかです。
私の檄文の受け取り手は、当時の私と微妙な関係に有った、ある種の共同体のメンバーでした。
確か私は「僕は貴方によって導火線に火が付いたようだ!」と書いた記憶が有るのですが、それが何だったか…うかつにも思い出せません。
その数日後、ある宗教の機関紙を見る機会が有ったのですが、読んで驚きました!
「これからは神人の時代になる! 神人が誕生する!」と書かれていたからです。
ただよく読むと、この神人なるものは養成され、認可を受けて誕生する物らしい…もう、興ざめです…。
私の神人論も急速にトーンが下がってしまいました。
今は…
神と共にあれば何もいう事ありません…。



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