人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

自然に、赴くままに...

2023-08-11 10:01:16 | スピリチュアル
私が“神の手に捉えられる“と呼んでいる、神的現臨により、思考機能がマヒして、思うことも為すことも出来なくなる意識状態について、当然のことながらあまり理解されないようです。
そう、これは自分の思いは自分でコントロール出来る、と思っている人間には絶対に理解出来ないことでしょう。
こうなったら、もう任せる、ゆだねるしかありません。その時、本当にその意味を知らされるのです。
そんな自分の意志、思考が奪われたら、自由というもの、主体性というものはどうなってしまうのか?、それで幸せなのか?、って誰しもが感じることでしょう。
それに対して私ははっきり明言します!...そんなことになって...人生でかくも自由、主体性を、そして幸福を感じたことは無かった、と!
これは、思うこと、為すことだけがすべてと思っている自分からは、望むべくもないものだ、と言っているのです。
この状態は、通常の状態からすれば、ある意味で“死“を意味しているのかもしれません。
しかし、私がそこで目の当たりにしたものは、絶え間ない、生成、創造活動といったものだったのです。
その主体となるものは、このチッポケな私をまったく超えたものであるのは、言うまでもありません。
主体ということを言いましたが、私は本当の自分、真我というものが、どういうものなのか、存在論的には分かりません。
けれど、チッポケな私には求められなかった、その“私は在る“という純粋感覚に与ることが出来たのでした。(この意味で私にはブッダは、実体としての真我は否定したかもしれませんが、この有り様を否定したとはとても思えないのです。そうでなければ、どこにブッダが説いた安らぎというものを求めることが出来よう?)
もっとも、こういうことがずっと続いていたら、先のことでも、実際に死のことが過ったりもしたのですが、命がいくつあっても足りないくらいでしょう。
かと言って、それは走馬灯のように、来ては去って行く人生のメモリアルのように、消えてゆくものではありません。私のどこか深部に刻印されているのです。
だから、この幻想に満ちた現実世界のことでなく、本源的世界のことに意識を向けて生きていくのです!...って、そんなこたあない!...そんな即身仏(生けるミイラ)みたいな生き方なんぞ考えたことも無いですよ!
私は頭の先からつま先に至るまて、普通に泣いたり、笑ったりして生きている人間に過ぎないのです。(あったりめえだろ!)
ただ、どっかに当たり前でないものを頂いているという、それだけの話です。
正しく、己を律してゆくような、骨のようにカタイ生き方はさて置き(あのね、自分からやろうとしたって出来ないことなの!)、私にはどうしても忘れることの出来ないものによって知らず知らずに人生航海の舵を握られているようで...
要するに、私の人生の主眼となるものは、自然に、赴くままに、ということなのでしょう?
それは、一体どこに向かおうとしているのか?...サッパリ分からない!



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