人間はつくづく、失うものを背負って生きているものだなあ、と思います。
地位、名誉、プライド、メンツ、信念...そうそう、信仰とか修行とか...
自分が築いたもの(いや、本当は築いたと思っているものだろう)は、いつかは失ってしまうものではないでしょうか?
そして、“それを失ったらもう終わりだ!“、なんて思ったりして?...思っているだけでしょ?
ホントか?...失ったら自分がどっかへ落ちてしまうのか?
だったら落ちてみたら、落ちてしまえばいいじゃありませんか?、それで本当にオシマイになってしまうのか?
私が高校生の頃、友人と口論になり、何かボロクソに言われ、それに負けたようになり、それまで持っていた、プライド、信念などを失ってしまい、落ちてしまったことがありました。
これは、本当に自分が落ちてしまったのですよ!
もう、ワナワナと全身が震え出し、立っていることが出来なくなり、地にへたり込みながら何かをわめいていたのです。プライドもメンツもありゃしないですよ!
友人にメッチャ傷つけられたのですが、その言葉は、子供みたいなもので大したことは無いと思いましたが...
私は要するに、人一倍プライドが強く、自意識過剰だった、ということです。
そうなってみてハッキリ分かりました。もう失うものは何も無い!...
そして、失うものが無いことは、なんてラクで自由なことなのか、ということが!
私はそれまで何と戦っていたのだろう?...もう、バンザイ!、手放しではないか!...
今から考えれば、これが精神的目覚め、神の手に捉えられる、思考の絡みが解かれ、後退し、歓喜に与る、という体験のハシリみたいなものです。
あのちょっと頭の悪そうな友人(その後けんか分かれしました)は、神の言葉を取り次いでいたのでしょう?
自分が築いて来たものを失ったら、オシマイになるなんてとんでもない!、落ちるんなら落ちてしまえばいいんです!
本当に落ちるところに落ち着く...裏側の人生が始まるのです!
それはしかし、そういうものを後生大事に守っている自分からはそうなりません。
自分を超えたものに依らなければ!...別にケタクソ悪いヤツと口論しなくたっていいですよ。
私は今でも、“あんなヤツと口論して、負けたら自分のプライドやメンツが許さん!“、とは思いますが、“落ちどころ“は知っているのです。
自分の思いを超えた、神的なものを現前にしたら、失うものは何も無い...もう降参するしかない!
神の愛の一撃を受けてしまうのならば!
それは、自分が思い込んでいた世界が終わりを告げ、本当に“自分が在る“、という世界の始まりに他ならないのです!...
地位、名誉、プライド、メンツ、信念...そうそう、信仰とか修行とか...
自分が築いたもの(いや、本当は築いたと思っているものだろう)は、いつかは失ってしまうものではないでしょうか?
そして、“それを失ったらもう終わりだ!“、なんて思ったりして?...思っているだけでしょ?
ホントか?...失ったら自分がどっかへ落ちてしまうのか?
だったら落ちてみたら、落ちてしまえばいいじゃありませんか?、それで本当にオシマイになってしまうのか?
私が高校生の頃、友人と口論になり、何かボロクソに言われ、それに負けたようになり、それまで持っていた、プライド、信念などを失ってしまい、落ちてしまったことがありました。
これは、本当に自分が落ちてしまったのですよ!
もう、ワナワナと全身が震え出し、立っていることが出来なくなり、地にへたり込みながら何かをわめいていたのです。プライドもメンツもありゃしないですよ!
友人にメッチャ傷つけられたのですが、その言葉は、子供みたいなもので大したことは無いと思いましたが...
私は要するに、人一倍プライドが強く、自意識過剰だった、ということです。
そうなってみてハッキリ分かりました。もう失うものは何も無い!...
そして、失うものが無いことは、なんてラクで自由なことなのか、ということが!
私はそれまで何と戦っていたのだろう?...もう、バンザイ!、手放しではないか!...
今から考えれば、これが精神的目覚め、神の手に捉えられる、思考の絡みが解かれ、後退し、歓喜に与る、という体験のハシリみたいなものです。
あのちょっと頭の悪そうな友人(その後けんか分かれしました)は、神の言葉を取り次いでいたのでしょう?
自分が築いて来たものを失ったら、オシマイになるなんてとんでもない!、落ちるんなら落ちてしまえばいいんです!
本当に落ちるところに落ち着く...裏側の人生が始まるのです!
それはしかし、そういうものを後生大事に守っている自分からはそうなりません。
自分を超えたものに依らなければ!...別にケタクソ悪いヤツと口論しなくたっていいですよ。
私は今でも、“あんなヤツと口論して、負けたら自分のプライドやメンツが許さん!“、とは思いますが、“落ちどころ“は知っているのです。
自分の思いを超えた、神的なものを現前にしたら、失うものは何も無い...もう降参するしかない!
神の愛の一撃を受けてしまうのならば!
それは、自分が思い込んでいた世界が終わりを告げ、本当に“自分が在る“、という世界の始まりに他ならないのです!...
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