人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

最愛のものとの出会い

2021-05-09 03:57:09 | 
私がどうして最愛のものと出会うことが出来たか、だって?...
簡単なことだよi
私は最愛のものこそが人生で一番会わなきゃならないもの、どうしてもこうしても、会わずにおれないものだということが分かったんだ!
最愛のものに出会うことが最善のことなんだi
だから、もうそのもののことしか眼中に無かった...
どうやったら会うことが出来るかとか...どこで会うことが出来るかとか、そんなことじゃないi
ただ、会いたいという一心がある...そう思おう、思おうとするんじゃなくね...
時々はそんなことが意識に上る者も居るかもしれない
だけど、私はいつもそういうものに意識が向けられていた...
時々の人はすぐ忘れて、別のことに夢中なのさi...何が最善のことなのか知らないが...
色々な人が色々なことを言う...
しかし、すべてで一つのものしかないんじゃないか?...それが最愛のもの...
何と言うのかな?...もう、理屈ごとじゃないi
私はそのものと出会うに値するのかとか、相応しいのかとか、もっと自分を今よりマシな人間に高めようとか、成長してからとか、欠点を改めようとか...そんなあれこれはすべて余計なことなんだi
最愛のものとはどういうものかと自分で考え、分析し、もう少し分かってからにしよう、なんて人間には一生かかったって分かるまい、会えまい...そういう人間には縁が無いんだろう...
最愛のもの、そのもの...それ以外のものはすべて次愛、次善だi
次なるもの、最愛のものに"ついてのもの"は、最愛のもののことじゃないi
ましてや、人がそう言っているもの、人づてに聞いたものなどのことなんか...
そんなものに、そんなところに留まって居られる訳がないじゃないかi
最愛のものとは、その出会いの瞬間に分かるものなんだi
でも、それは会う以前から知らされている...だから分かるんだi
君がそう考えているもののことじゃないi
だから...だっても、どうやっても、へったくれもないんだi
"自分にはまだその時が来ていない"、とか"自分は会うに相応しくない"とか...何故、考えなくてもいいことを考えるのか?
現に真向かいに合いまみえているというのに...
だから、留まってなど居られないi
自分のすべてを挙げてそっちに向かわざるを得ないi
そのもの以外は意識されない
だから...そのものに意識が向いちゃうんだi
こんなこと、あれこれ考えている自分からは、とてもじゃないがそんなことにはならないi
難しいなんてもんじゃない...絶対に出来ないことなんだi
だけど、簡単なことだよi
自分には何も出来ないということが分かればね...
私が捉えようとする先にもう捉えられてる...
どうしてもこうしても、求めてやまないものは現前している...
現前していることほどリアルなものは無いi
この現実は受け入れるしかないi...考えごとでベールをかけることなんて出来っこないi
一切の虚飾、作為無しにそうなっているまま、ということなんだから...
いつの間にか、あちらの方が"会おう、会おう"としているのを感じずにおれなくなる...
だから...それを受け入れるしかないi
簡単だろう?...
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