幸福というものは、何かを得ることや、なることに置き換えられると、そうでないものに変質したりすると前回書きました。
しかし、ここんところ幸福について書いてきたことは、すべて”愛”というものに置き換えることが出来る、と私は思えるのです。
勿論、感じ方に違いはあると思いますが、愛を感じることは幸福であるし、逆も又そうなのではないでしょうか?
それは、共に形が無いものなので、どのようにも結び付くものではあれ...(しかし、愛は何かを得ることでは、もっとそれ自体得ることは出来ないものではあります。より即物的でないものと言えるでしょう)
そして、それ故形あるものに結び付くと、容易に変質してしまうということも重ねられます。
最愛の人であったはずが、”愛着”することによって煩悩、苦悩の種に変じてしまうように...
これは、もう幸福について言ったことと同じなんだ!
我々は、愛そのものがどういうものか、分からなくなってしまったのです!
失ったものはあまりにも大きい!...こう書いているだけで、ハートの辺りから言い知れぬ鼓動、律動のようなものが高鳴るのを感じるではありませんか?!
失った(ように思っていた)ものがよみがえったなら、どんなに、計り知れずに大きいことであるだろう!
だから、愛そのものを感じ、つながるには最愛のものを手放さなければならないのです!...って私はそんな自分が出来ないことを言おうなんて思っちゃいません。私はそんなこと一度も試みたことありません!
こういうことはね、”こうしなきゃ”、とか”こうあらねば”なんて思いからでなくて、自分の偽らざる感性に尋ねたらいいんですよ。出来るか?、そのように、あなたの心は動いてくれるのか?
私には最愛のものは常に最愛のものです。今のところ...それはお分かりのように、形ある、思い描けるものに違いありません。
だけど、そのものは形無きものと共にある...どっかでそれに溶け行ってしまったように感じているのです。
これは、その形はもう”ここにない”、だからこそそのように感じられる、ということは言えるでしょう。ここにあったら感じられるかどうかは分かりません。何分、形ある愛とは縁が無い者なので分かりません。
もし形あるものを通して、愛としか言いようのないものを感じたのなら、ずっと自分のハートに留めておくことが出来る...形あるものを通して形無き愛を感じることは可能なはずです。
形は変わるもの、変質してしまうもの...そうなったらそれを受け入れるしかありません。
執着すると、それで変質してしまいます。だけど形無きものに化されたものは、ずっとここに息づいているのです。それは、それを感じているあなた自身と切り離されてはいないのです。
で、何が最愛のものかって?...そりゃあ、異性だったり、ペットだったり色々でしょうよ!
それじゃ、最愛のものじゃないじゃん!...ごもっとも!...分からないです!、ただ好きで、愛しててしょうがないのです。分けることなんか出来っこないですよ!
分けられないから愛なんだ!
そういうものは、色々あるのでない、たった一つのものはあります!
それは..神!、本当の自分!
二つやん!...いや分けられない!...
しかし、ここんところ幸福について書いてきたことは、すべて”愛”というものに置き換えることが出来る、と私は思えるのです。
勿論、感じ方に違いはあると思いますが、愛を感じることは幸福であるし、逆も又そうなのではないでしょうか?
それは、共に形が無いものなので、どのようにも結び付くものではあれ...(しかし、愛は何かを得ることでは、もっとそれ自体得ることは出来ないものではあります。より即物的でないものと言えるでしょう)
そして、それ故形あるものに結び付くと、容易に変質してしまうということも重ねられます。
最愛の人であったはずが、”愛着”することによって煩悩、苦悩の種に変じてしまうように...
これは、もう幸福について言ったことと同じなんだ!
我々は、愛そのものがどういうものか、分からなくなってしまったのです!
失ったものはあまりにも大きい!...こう書いているだけで、ハートの辺りから言い知れぬ鼓動、律動のようなものが高鳴るのを感じるではありませんか?!
失った(ように思っていた)ものがよみがえったなら、どんなに、計り知れずに大きいことであるだろう!
だから、愛そのものを感じ、つながるには最愛のものを手放さなければならないのです!...って私はそんな自分が出来ないことを言おうなんて思っちゃいません。私はそんなこと一度も試みたことありません!
こういうことはね、”こうしなきゃ”、とか”こうあらねば”なんて思いからでなくて、自分の偽らざる感性に尋ねたらいいんですよ。出来るか?、そのように、あなたの心は動いてくれるのか?
私には最愛のものは常に最愛のものです。今のところ...それはお分かりのように、形ある、思い描けるものに違いありません。
だけど、そのものは形無きものと共にある...どっかでそれに溶け行ってしまったように感じているのです。
これは、その形はもう”ここにない”、だからこそそのように感じられる、ということは言えるでしょう。ここにあったら感じられるかどうかは分かりません。何分、形ある愛とは縁が無い者なので分かりません。
もし形あるものを通して、愛としか言いようのないものを感じたのなら、ずっと自分のハートに留めておくことが出来る...形あるものを通して形無き愛を感じることは可能なはずです。
形は変わるもの、変質してしまうもの...そうなったらそれを受け入れるしかありません。
執着すると、それで変質してしまいます。だけど形無きものに化されたものは、ずっとここに息づいているのです。それは、それを感じているあなた自身と切り離されてはいないのです。
で、何が最愛のものかって?...そりゃあ、異性だったり、ペットだったり色々でしょうよ!
それじゃ、最愛のものじゃないじゃん!...ごもっとも!...分からないです!、ただ好きで、愛しててしょうがないのです。分けることなんか出来っこないですよ!
分けられないから愛なんだ!
そういうものは、色々あるのでない、たった一つのものはあります!
それは..神!、本当の自分!
二つやん!...いや分けられない!...
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