からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
明るく楽しい趣味Blogが目標。
毎日ほっこりと。(^0^)

辻常陸陶芸展

2006年11月29日 10時30分09秒 | 佐賀のこと

 私事で落ち着かない最近です。忙中閑ありいや閑中忙ありというところでしょう。 銀座で佐賀県有田の辻精磁社14代ご当主辻常陸さんの陶芸展をやっているので今日出かけることにしました。実は今日しか自由行動が出来ない事情にあります。(汗) 常陸さんの子息で東京の責任者が高校の同期なので毎回ご機嫌伺いにフラフラと出かけております。超高価でなかなか手が出ないのですが現代の銘品を鑑賞し目の保養をすることにしています。 色鍋島、古伊万里とはまた違った禁裏御用の焼き物には息を呑む美しさがあります。極真(ごくしん)焼といって磁器のスリーブの中で焼き上げた白磁は白でなくクリーム白かと思える微妙な色合いです。 今でも皇室の大きなイベントの記念品は辻君宅の窯で焼いたものが納められています。 意外にも佐賀県でも知られていないこの窯の銘品をご覧いただければ幸いです。硝子のような薄手磁器の感触を楽しんでください。

11/28-12/2 11:30-18:30 ギャラリーミハラ 銀座1-4-6紅雀ビル1F

並木通りにあります。私から聞いたと云えばひょっとしたら何かもらえるかも知れません。(笑)

Tenjiall この写真は1年ほど前の新宿京王デパートでの展示会です。

そうそう、余談ですが新年早々(1/4)フジテレビで放映される「佐賀のがばいばあちゃん」にこの窯の貫禄あるトンバイ塀が出てくるそうです。武雄市界隈でロケされたこのドラマを心待ちにしています。詳しくは武雄市武雄市長のブログで紹介されると思います。ご期待下さい。


高校同期会

2006年11月19日 14時30分13秒 | 佐賀のこと

冒頭、今年相次いで亡くなった同級生の黙祷から始まりました。 年一回必ず開催している佐賀県立武雄高校18回卒の東京地区同期会です。毎年やっているのでいつでも行けると思うのか出席率はあんまり良くありません。 今年は21名だったかな? 今年は身内の結婚式で出席できないという返事が多かったと聞きました。まあおめでたで出席できないのであればよしとしましょう。

久し振りに参加した人が意外に多かったので自己紹介が始まりました。同期会に始めて出席?したというF君が横須賀市で中学の校長をしていると聞いて最近の問題について質問が集中していました。  さて私の番ではしっかりと「佐賀のがばいばあちゃん」の1月某日TV放映と年賀状サービスの宣伝をしておきました。やはり故郷のことなので気になっている様子でしたが具体的な話が今一つ伝わっていないようですね。フジテレビの予告編が待ち望まれます。 同級生のKさんがモンペをはいてエキストラに出たという話をしたところあと二人出ているようです。武雄の知人が沢山出るので目をこらして見てもらうようにとしつこく話しておきました。有田もロケ地とのことですが、例のトンバイ塀が実家であるT君はじめ何名か参加していたので武雄だけの話でないと伝えました。

あと、2月に武雄へ行った際に立ち寄った工房「わらべ」のMさんがこの度北方町で素敵なお店を始められるというニュースが西日本新聞に取りあげられていたことも話しておきました。 地元の北方商工会のブログも彼女のお店を期待している様子です。やはり同級生が頑張っている話は励みになります。どうぞ頑張って下さい。

我々も来年は還暦です。これから一年一年を大切にして、来年の再会を期してお開きとなりました。幹事の皆さんご苦労様でした。

 むろんその後、延々と二次会が続いたことは云うまでもありません。今朝は当然のことながら寝起きが良くありません。

 来年は記念の年でもありますので全校で関西方面一泊同期会という話が出ております。さてさてどうなることやら。危うく永久幹事を受け取りそうになりましたが、回避。 それに次回は関西主導のようなのでとりあえずOさんと東京方面の連絡員になってしまいました。ここを見ている同期の皆さん、御協力よろしくお願いいたします。(汗)

酔っぱらってあいにくデジカメ写真は撮っておりません。撮ったのはフィルムカメラなので来年お渡しすることにします。


めぐり会い

2006年10月26日 09時36分45秒 | 佐賀のこと

 昨晩、会社時代の友人らと宴会でした。 随分前に佐賀の店で呑もうと約束していたのですが、なかなか実現せず昨日になった次第です。 麹町にある唯一佐賀人の集まる「九州まつら」という飲み屋です。ここでは色んな佐賀の人に会えるので楽しいのですが、会社を辞めた最近はなかなか行けないでおりました。

楽しく呑んでいたところへ、あの黄色い風が吹いてきました。がばい課長さんの登場です。こんな偶然があるのだなと驚きました。当方から声をかけましたが、怪訝な顔、それもそのはずですブログで一方的に顔を知っているのは私なのですから。(汗) 広報活動中とか、県事務所の方もご一緒されておりこの方は存じ上げていました。

Matura

(ご本人方未承諾ですが、事後承認よろしくお願いします。)

東京であの黄色いシャツを見るとは思いませんでした。

東京で佐賀人の口コミはこの店から拡がるので絶好のねらい所でした。店のお母さんにもきっちりご説明されて、あの「ゆほほ」まで登場していました。 きちんとお役目を果たしておられました。とご報告申し上げます。(笑)  ちなみにオーナーは唐津出身、坂井市長はたまに出没されるようです。武雄市長さんも来て欲しいというお話でありました。 私の連れのなかには市長もご存じのHさんもおりました。


ゆほほ到着

2006年10月03日 00時48分33秒 | 佐賀のこと

 外出続きでなかなか受け取れないままだった「ゆほほ」が武雄市から到着しました。嬉しくなってさーっと顔に一吹きしましたが、何の変化もありません。それもそのはず温泉水なのですから。(汗) しばらくすると何となくスベスベする感触です。これが温泉水の効果かと思っても定かではありません。 それではとカミさんが実家に帰っているのをいいことに行きつけの会議室(?)に出かけてママさんに寄贈しました。ついでにたまに来るマリさんにも渡してもらうことにしました。 会議室にママがいる。余計なことを考えずに「ゆほほ」とは何かということに悩みましょう。(笑) 自分の顔に噴霧して思ったのですが、時間が経ってもしっとり感が抜けません。意外にいいのかも知れませんが、贔屓の引き倒しにならぬよう気をつけて使ってみます。 アベンヌの化粧水に相当するもののようですが、販路、知名度は月とスッポンです。それでも使用してみると意外にいい感触ではないかと思う今夜でした。 容量と価格については、これから更に推敲を重ねる必要もあるのかなと思いました。

第一印象は好印象です。 進呈した会議室?のママは、「これからの乾燥する季節にはいいわね。」、「そういえば温泉水を前面に出したものってなかったね。」という意外感でした。 これからの季節に最適の商品のようです。 我が家の神様は帰省中なので後日使用感を聞きだそうと思っています。

ゆほほ」の販売戦略、一喜一憂せぬよう四季を通した息の長い売り込みが必要と思います。市長さん始め関係の皆さんの更なる健闘を祈ります。 しつこさが商売には大事ですから。


武雄の報道

2006年09月28日 13時54分27秒 | 佐賀のこと

武雄市のことが朝のテレビで取り上げられることは滅多にないことであるが、去る27日のフジ・目覚ましテレビで「佐賀のがばいばあちゃん」のロケ風景が何と5分にわたり放映されていた。 残念なことに老父にしか伝えていなかったので私の周辺で見た人は少なかったかも知れないが、嬉しい誤算であった。 相変わらず忙しそうな樋渡市長の顔や当選シーンの後ろで万歳三唱している友人の懐かしい声が聞こえ(笑)彼に最近ご無沙汰していることを思い出した。 詳しい報道内容は樋渡市長のブログを是非ご覧下さい。朝の貴重な時間を割いてこれだけの内容を報道してもらうと云うことはCM費用として如何ほどになるのか。この機会を我が故郷は活用していただきたいと思う。 ただし、テレビ報道は手のひらに残らないために10日ほどの瞬間的な効果しかもたらさない。これを繰り返すことで武雄市の売り込みをはかって欲しいものである。まだまだ初お目見えであるが更に露出していって欲しいものである。 次の段階で、新聞や本などの活字で目にするようになると本物である。 活字が衰亡し始めている最近は、インターネットであろうか?

と地元経堂のアドマチック天国登場の後日談から移ろいやすいテレビ人気へのてこ入れの必要を感じている。

楽しみに見たロケ報道であったが、雑用でブログから遠ざかり蛍光灯のような記事になってしまった。 次の報道を待ち望んでいる。


驚きました

2006年08月26日 21時13分49秒 | 佐賀のこと

 この数日、ブログのアクセス数が急増したので変だなと思っていたのですが、なんと、武雄市長のブログに私のサイトのことを取り上げてもらったので、そこから飛んでくる方が増えたようです。 細々と好きなことを書いていたのでちょっと緊張します。(汗) 

 がばいばあちゃんのロケが決まってこのかた、武雄市関連のブログがこの話題で盛り上がっているのを東京からでも感じ取れます。武雄が次第に一体にまとまってきているようですね。 これまでこんなことがあったかどうか定かではありませんが、どなたかのサイトに書いてありましたが、おそらく戊辰戦争での武雄藩の羽州出兵以来なのかも知れません。(笑)  武雄に関して云えば明治維新に相当することが起こり始めたような気がしてワクワクしています。 その当時の武雄藩の実力を持つには道は遥かですが、今回のロケやこれに続く施策を切れ目なく続けることで武雄市の体力作りを図っていただきたいと思います。 ますはロケの成功、遊びに行きたくなる武雄を創っていただくことを願っています。

実は武雄を見直したのは2004年連休に東京の友人と武雄に遊び、食べ物の美味しさに唸ったからです。 二三日飲み食いを続けて飲み代が泊まり賃を上回るという恐ろしさ、生まれ故郷にもかかわらず知らなかった美味しい町でありました。更には大楠に大感激。 その後樋渡さんが市長に出馬されるという偶然が重なって、とうとう取り込まれそうな雰囲気です。(笑) 

Img058_1

 しばらく武雄に戻ったことのない方にはロケはいい機会です。是非見物かたがた帰郷し、食を味わってください。運のいいかたはエキストラとして・・・・  また、様々な温泉を味わった経験をお持ちの方は武雄の泉質を見直すこと必定です。

 といった具合に武雄から出てしまったことで武雄の良さを改めて見直しています。 カミさんは年のせいだと云いますけど。(汗)  さて次回はいつ行けることでしょうか???


佐賀のがばいばあちゃんのロケ地が武雄市だ!

2006年08月22日 11時10分09秒 | 佐賀のこと

 最近目にすることの多いタイトルですが、B&Bの島田洋七さんの子供時代の苦労談の文庫本が平積みで並んでいます。 当初は芸能人の本など縁がないと思っていたのですが、数ヶ月前に佐賀県東京事務所から映画割引券をもらったので重い御輿をあげました。

数少ない上映館の銀座三原橋のシネパトスを探し当て、入ってみると意外に混んでいます。中年層が多いのですが、若い人も結構混じっています。 映画に見入ると三丁目の夕日とはまた違った雰囲気が漂っています。 佐賀は貧乏だったなという思いを彷彿とさせてくれることばかりです。 我が家も似たり寄ったりだったことを思い出しました。 終盤の佐賀を去る洋七少年との川辺の別離シーンでは、休みを終えて大学の下宿や勤務先に戻る私を我が家の裏を流れる高橋川辺に立って角を曲がるまで見送ってくれた祖母の顔が重なり不覚の涙をこぼしてしまいました。 皆さんそれぞれにハンカチを取り出していたようです。

この映画を見て3ヶ月?程経った今朝、佐賀新聞のサイトには「がばいばあちゃん」テレビドラマ化、ロケ地は武雄という嬉しい記事が出ています。 そうなんです、幸か不幸か武雄市にはまだ昭和30年代の雰囲気が残っている場所が多いのです。自動車の通るバイパスよりも旧道界隈はホッとして心和むところが実に多いようです。北方から武雄に続く長崎街道にはつぎはぎながらもまだ町並みが残っているのも資産だと思います。(これ以上衰亡させないで欲しい。) シュガーロードの入り口、北方の大崎地区へは次回行ってみたいと思っています。

 今回の誘致は、樋渡市長が武雄の町に賑わいをと努力されていた成果の一つに違いないと大変嬉しく思いました。 臨時市議会を開きこの誘致等々の予算を確保して万全の体制で臨まれたようです。これまで努力された関係者の皆様に感謝するとともに有終の美を飾る日まで頑張っていただきたいと思いました。 武雄の地でロケされた番組が放映される日を楽しみにしております。 重ねて誘致実現おめでとうございます。 取り急ぎお祝い申し上げます。


辻精磁社のこと

2006年08月11日 23時32分34秒 | 佐賀のこと

 東京に住む友人の実家は由緒ある窯にもかかわらず意外に知られていない伝統ある窯です。明治まではそのほとんどが禁裏御用ということで京都に納めていたので鍋島や古伊万里のように一般には出回らなかったせいだと思います。有田といえば焼き物のガラを摘んで作ったトンバイ塀が連想されますが、その塀に囲まれた屋敷が彼の実家の辻精磁社です。

Tuji1

 それが現在販売されている小学館サライで昭和天皇のご愛用品という特集に洋食器が取り上げられています。たまに東京の展示会でお会いする96歳のお父上も元気な姿で登場されています。 なかなか買うことは出来ないのですが年数回の展示会で銘品を見るのを楽しみに出かけています。 2月に有田へ寄った際辻精磁社のショールームで規格外品を自分と仲間内のお土産として入手しました。僅かに傷があるものの十分満足で普段使いです。

で、サライに載っていることを知っているかと友人にメールしたのですが、ご存じなかった様子。そんな話を聞いたような・・・とのんびりしたものでさすがに老舗の番頭です。(笑) 白であって白でない白磁の肌は他の焼き物とは一味違った雰囲気を漂わせています。東京でたまに展示会をやっているので興味ある方はお出かけ下さい。前回は7月に新宿京王デパートで開催されましたが書き忘れました。 次は多分12月頃に銀座の画廊だったと思います。

我が家にも古い辻精磁のものが僅かに伝わっていますが、それを知っているのは私だけなので困ったものです。危なくて出せたものではありません。

サライには和食器として香蘭社が取り上げられています。辻精磁社は和食器も素晴らしい製品を納めているのですが、佐賀県の磁器が二社取り上げてあったのでよしとしましょう。(汗) 

有田町は、武雄市の隣町、目と鼻の先なので武雄温泉を基地にして焼き物探訪にゆっくり出かけるくれる方が増えればいいなと思いました。 有田は曾祖父母・祖母の地であり高校の校区も一緒の町なので懐かしいところです。


古賀元帥

2006年06月22日 20時48分54秒 | 佐賀のこと

 文藝春秋の巻頭言は、各著者の蘊蓄ある文章が楽しみで毎号待ち遠しい箇所なのですが、今月号に地元では忘れられようとしている古賀提督のことを阿川弘之氏が「葭の髄から」に取り上げておられました。 佐賀出身とは書かれていないのですが、今年の2月に帰郷し有田の陶山神社に参拝した際に古賀峯一元帥の記念碑が建てられていたことを思い出した次第です。 古賀提督の立場は条約派と云えばご存じだと思うのですが、三国同盟に反対し続けた人の一人として知られています。しかしながら、古賀長官は先見の明があっても結局第一線の総指揮官として殉職し、国を滅ぼす条約であった三国同盟を歓迎した提督連中は命を永らえ恥もさらさなかったという運命の皮肉を感じます。 今となっては長いレンジで世の行く末を予見していた古賀元帥始め条約派が存在していたことを良しとするしかなさそうです。(汗)  未公開ですが、GF長官になった後に有田の後輩の士官に宛てた「重巡洋艦の6m測距儀(レンジファインダー)の精度向上を至急研究願いたい。」という私信を法事の際に娘さんから見せてもらいました。 戦いを始めたからには彼我の技術差を如何に縮めていくかの苦悩を感じる内容でした。

 文藝春秋7月号阿川弘之さんの随筆には、海軍の歴史と条約派等々のことが実に明快に書かれていますので興味のある方は一読されたらいかがでしょうか。 時代におもねることなく走り去った地元の人がいたことを有田の方はご存じでしょうね。 せっかく建立したにもかかわらず陶山神社の碑文では残念ながら古賀長官の価値は全く分かりませんでした。(汗)

Koga  (陶山神社の碑文)


日本惜しい

2006年06月19日 16時38分49秒 | 佐賀のこと

 例によって俄サッカーファンとなって一喜一憂しておりますが、昨晩は惜しかった。珍しくカミさんも加わって盛り上がっていました。 全国各地域でも様々な集まりで日本を応援していたようですね。

そのような中、かってない試みのようですが、佐賀県武雄市では、レースのない競輪場が日本クロアチア戦の応援会場となってなんとまあ1,800人が集まったとのことです。保守的の土地柄なのでその昔には考えられないイベントで驚いてしまいました。 さすが新進気鋭の樋渡啓祐さんが首長になっただけのことはあるなと嬉しくなります。 もっと前に宣伝すれば良かったのですが、手首が痛くて・・・・・

更には、新市誕生のイベント企画を20年後を見据えて地元高校生に任せるとは樋渡さんらしい企画と思います。市長一人でやれるわけはありませんが前例に縛られない上司の存在が部下の隠れた才能をどんどん伸ばしてくれると思います。その意味で武雄市は多くの可能性を持った訳なので地元の方々の頑張りを期待しています。 今年はもう一度行きたいなと思っていますが、このイベントの時期もいいのかも知れません。