からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
明るく楽しい趣味Blogが目標。
毎日ほっこりと。(^0^)

武雄訪問記

2006年05月09日 12時42分49秒 | 佐賀のこと

 やっと気分が落ち着いてきたので2月に佐賀県武雄市を中心にウロウロした紀行文もどきをホームページにまとめ始めました。 長めの鉄道旅行をした際には鉄道中心の記録として残すことにしていますが、今回はしばらく控えておりました。時間の経ったメモから文章を起こすのは大変です。その時点の勢いで書いていたほうが楽だったと反省しています。 応援阿房列車という意味不明の紀行文としてぼちぼちと掲載していきますので興味ある方はご覧下さい。

 ところで、九州鉄道唱歌の旅という東京では市長選直前に放映されたものが関西、九州と順次流れたようですね。 東洋館のお知らせブログで知りました。 武雄の出る歌詞が二回歌われ、子猫さんの口から1回歌われたのでもうけたと思いました。(笑) 

そうそう、東洋館のブログ、楽しみに見ています。有田や他の地域との連携を少しずつ始められているようでこれからを期待しています。


有田陶器市始まる

2006年04月29日 09時32分25秒 | 佐賀のこと

 たっぷり眠ったので体調も何とか戻ってきました。いつもの時間に起床してテレビを見ていると有田陶器市からの中継です。そういえば一昨年は酔考さんと有田や武雄にドタバタ旅行をやったなと懐かしく思い出されます。 最近100万人を越える人出が戻ってきたといいますが、佐賀県のあの地域にあってこれは素晴らしいことです。

Fudanotuji (一昨年の陶器市、札の辻近くを第二日目に通りました。)

 有田と武雄は密接な関係があります。というのは母校の武雄高校の校区有田、嬉野、武雄と佐賀県西部の観光地をカバーしているのです。 同窓生を思い浮かべると今回の新武雄市の合併市町村をこの校区でカバーすることが大変現実味があったのになと思った次第です。(汗)  それはさておき有田は宿泊設備がさほどありません。それをカバーしているのが嬉野と武雄です。 一方これまでの観光を見ると各地域の点の活動であり観光地をまとめた面としての活動が足りないような気がします。 県では面とする活動をされているようですが、やっぱり点にいる方が自発的に動かなければ飛躍的な変化は難しいようです。 有田の売り上げ低下が報道されている今、地域がまとまった面としての活動が必要な時期に来ていると思います。 有田が元気を出すと武雄や嬉野も元気が出る。そんな市政の舵取りも期待しています。 > 樋渡市長様 (笑)

 この季節は有田だけでなく周辺の色々な場所でイベント目白押しです。これらをうまく盛り込むともっと人が集まるように思いました。 博多ではどんたくです。ついでに新幹線が通ったあかつきにはJR九州の切符制度を変えて一泊途中下車切符などはいかがでしょう。長崎へ向かう途中、武雄、嬉野で一泊し鉄道で有田往復をしても無効にならない割引切符。これって今もあるのでしたっけ? ちょっと趣味が出てしまいました。


明治伊万里(精磁会社)

2006年04月27日 11時30分50秒 | 佐賀のこと

昨晩書き込もうとして一生懸命にここに書いた文章を酔っぱらっていたので操作ミスで消滅させてしまいました。消えてしまってよかったかも知れません。(汗) それはともかく、最近佐賀新聞のニュースを読んでいたら武雄市の「わっかもんプロジェクト」とともに「幻の明治伊万里」という本が日経新聞から出版されたという記事が目にとまりました。 速攻で注文し既に手元にありますが、これまでぼんやりとしか分からなかった精磁会社のことが詳しく書かれています。 明治初めから中期にかけての精緻な精磁会社の製品を骨董界も知らんぷりです。(実はこっそり集めているのでは・・・) 地元でも知らない人が多い会社なので全国的には認知されていないと思います。 有田は曾祖父の住んでいたところなので我が家にも精磁会社の製品が二三残っていて大切にしています。 こんな素晴らしいものが何故もっと取り上げられないかと日頃から不思議でした。 この本の出版できっと注目されるようになると思います。痛し痒しです。(笑)  その昔実家で使っていた焼き物かなと思えるデザインの焼き物も散見されて私にとっては大変懐かしさを覚える本でもありました。 これから有田陶器市にお出かけに皆さん、精磁会社の痕跡をお探しになったらいかがでしょうか。

五月連休は、武雄有田と行きたかったのですが、都合で断念。 カミさんは熊本に遊ぶようです。私は留守居役になりました。大変残念です。(汗)  日をあらためて武雄に遊びたいと思います。

ついでですみませんが、武雄市のホームページが変身しつつありますね。おしくらマン人形という弓野焼がハンズにあるようなので今度行ったときに見てきます。 ホームページ解析も出現して詳しすぎなのですが楽しめました。(笑) 全国版ホームページになる第一歩に取りかかられたようでこれからを期待します。頑張ってください。


武雄市あれこれ

2006年04月19日 14時26分39秒 | 佐賀のこと

 若き畏友の樋渡さんが武雄市長に無事当選されたので私までもが気持ちもずいぶん晴れやかなになりました。この先、政策提言集の各項目を一つづつ具体的に実現して行かれることを期待しています。高槻市での手腕を拝見してきた限りでは思いがけない奇策(失礼)を含めて武雄の皆さんもハラハラドキドキすることが起きるのではないかと楽しみに拝見させていただきます。ただ、私の生まれ故郷でもありなかなか保守的な風土もあってやりにくい面も多いかも知れません。現に毎日カミさんから「あなたは頭が固い。」と叱られているところを見るとDNAにこびりついているものがありそうです。(笑)

 しかしながら、これまでの歴史を見るとどこかでジャンプする特性があって、目立たないものの恐ろしいほどの潜在能力を秘めている土地柄だと思います。 県外にいる旧市民が見て感じたものを列記してみます。 以前に書いた戊申戦争時の先進性は頭では分かっていたものの武雄市博物館(文化会館)で最新鋭の兵器を見て驚きました。 新幹線はもめていますが武雄市は交通の分岐点という好立地にあります。 数百年にわたって長崎街道北方・高橋武雄から嬉野へと続いてました。ついでですが我が産土の高橋は水運の要でした。 一方で海岸線を縫う長崎本線の拡充にはつらいものがあります。 私の愛唱する「鉄道唱歌」では「疲れて浴びる武雄の湯 土産にするは有田焼」と明治33年には歌われていました。 ということで温泉の素晴らしさは先日帰省したときに再認識しましたが、実に魅力ある泉質でした。人生も古くなると伊豆箱根などへと遊んでいますが、武雄の湯を凌駕するものは殆どありません。匂いはないものの肌にまといつくしっとり感は格別でした。 佐賀県で放映されたのかどうか分かりませんが、4/15のテレビ東京で「九州鉄道唱歌の旅」が放映されたので選挙の行く末を心配しつつ見ていました。 それはともかく武雄温泉・元湯がしっかり特集され「おんちゃん」たちの入浴シーンを楽しみました。(汗)  先日泊まった東洋館がゲストのお宿になっており、また行くぞと云う気持ちになりました。 唐津や有田のルーツの地と云うべき黒牟田や弓野等々の焼き物。 それに食べ物の美味しさです。佐賀藩の昔は、ご飯がに漬けで済ませていたと年寄りから云われていましたが、本当は食の宝庫でした。高槻から応援に駆けつけられた見つけ隊の隊長さんから新しい目で美味しいものを見つけていただいてます。  そして何と言っても一番は樹齢三千年の大楠が三本もあるという豊潤な土地であることです。それも深山幽谷に分け入らなくても市庁舎からすぐ側にあるとは驚愕すべきことです。Img058  そのような場所が樹木大好き人間にも知られていなかったのです。ご近所(東京)の酔考さんを案内したところ涙を流しそうになったというほど感激していました。

上京して数十年経ち、もはや故郷は遠くにありて思いもしないものだと決めていたことが、樋渡さんの出馬のおかげでぐーっと近くなってしまいました。小遣いが大変ですが、たまには帰郷して武雄の変わる様を見続けたいと思っています。 よきリーダーを得た武雄市と市民の皆さんの発展を楽しみにしています。市外にいる昔の市民はご迷惑でしょうが大久保彦左衛門として働かせていただきましょう。

僭越ながらなんだか武雄の皆さんに贈る言葉になって失礼しました。(汗)

追記:合併した山内町、北方町のあれこれは知識が足りません。どなたか紹介してくれることを期待します。山内町宮野、(住吉)は母方の曾祖母、祖母の出身地ですが、小学校に入学する前に行ったのみ、黒髪山のイメージが強烈です。 北方町の大崎には遊びに行って古い家並みを覚えていますが当時は炭坑の町、石炭を運ぶロープウェイが空中を佐世保線まで走る様が子供心に焼き付いています。焼米堤への遠足では佐賀藩の成富兵庫茂安の石碑があったような・・・・

 


嬉しい!

2006年04月17日 00時52分51秒 | 佐賀のこと

 佐賀県武雄市長選挙の午前零時の速報で樋渡氏の当確がでました。これで武雄が変わるという思いがよぎりました。 年末の帰郷以来のご苦労が報われましたね。

おめでとうございます。 > 樋渡ご夫妻 &関係の方々

東京からの応援では微々たることしか出来ませんでしたが、地元の知人,、友人が樋渡ご夫妻の人柄に触れて応援の輪を拡げていただいたことに感謝するのみです。 明日の武雄市に明るい光がさしてきた思いがします。多数の市民の選択が正しかったことを結果で証明していかれることを期待しています。我々年寄りどもをおおいにこき使ってください。(笑)

これから新市政の舵取りですが、高槻と同等いやそれ以上に手腕を発揮していただくことを期待いたします。

あらためておめでとうございました。取り急ぎお祝い申し上げます。


今日は投票日

2006年04月16日 08時07分46秒 | 佐賀のこと

 先日桜を追っかけて宇都宮まで行った来たものの治りきっていない風邪と同行したものだから昨日は疲れでぎっくり腰寸前、また喉も痛くなる始末でした。

ところで今日は佐賀県武雄市市長、市議会の投票日です。畏友樋渡さんの当選を願っております。現職は今後の市政をどのようにするかの具体論の表明も結局なかったような気がしていますが、二期務めた現職もしぶとそうです。 市民の方々の選択如何ではこれからの武雄がどうなるのか気懸かりです。 明るい未来か、このままの縮退か心配しながら見守っているところです。

住民でもないのに生まれ故郷の行く末が心配でなりません。あと一日弱で結果がでます。さてさて心配な一日の始まりです。人事を尽くされたと思いますので天命を待ちましょう。 長い選挙戦お疲れ様でした。 > 樋渡さん。


武雄市長選始まる

2006年04月10日 13時02分20秒 | 佐賀のこと

 このところ仕事や遊びが重なってブログから遠ざかってしまいました。あっという間に一週間経ってしまい、昨日は樋渡啓祐氏の出陣式でした。 選挙にはホームページやブログを使っていかんという時代遅れの公職選挙法のおかげで彼のブログは更新やコメントが停止。過去のコメントも参照できなくなりました。 昨日一日、出陣式はどのような様子だったのかやきもきしていましたが、事務所開きの900名を越える1400名の皆さんが集まっていただいたようです。着実に樋渡氏を支援してくれる皆さんが増えてきているようで嬉しい限りです。

相手側は、公開討論会を結局逃げまくり今後の武雄をどうするかのぶつけ合いをしませんでした。耳に優しい総論は誰だって云えます。各論があって始めて具体的に自分たちの生活がどう変わるのかを実感できると思います。  挙げ句の果ては「若すぎる。」とか、「一期のみで次は国政に出るステップアップなのでそんな候補者では駄目だ。」というような樋渡氏本人が云ったこともないデマが流れています。 

 樋渡氏はブログで自分の考えを明言しておりますし、直接ご本人から考えを聞いたことのある私も唖然とするような与太話ばかりです。 市民を欺くような流言飛語を流すのが相手方であったとしたらこの先どうなるのか恐ろしくなってしまいます。公開討論会を逃げたのは何もなかったからかと勘ぐりたくなります。

東京在の私は一向に困らないのですが、困るのは我が故郷に生活している人達です。地元マスコミでも「新しい市政の選択」、「本物を見極めて」と暗にこれまでの流れを変えないと今後どうなるか分かりませんよと論説しているように読み取れる記事が出ているようです。 さて市民の皆さんがどのような選択をするのか、息を詰めて見守っています。

 行きたくてたまらない武雄帰省したくなる誇りある武雄を明日に向かって創ろうと裸一貫で飛び込んだ樋渡氏を是非とも選択してくれることを祈っています。

私にしては珍しく燃えてしまいましたが、こうなってしまうくらい魅力ある人物が我が故郷にデビューしたのです。


武雄市長選と公開討論会

2006年03月26日 22時03分32秒 | 佐賀のこと

 佐賀県武雄市の市長選挙があと一ヶ月弱と迫ってきました。若き畏友の樋渡啓祐氏が職を投げ打ち、生まれ故郷の再生に人生をかけて帰郷したのが昨年末です。地盤も知名度もない出発から3ヶ月、鬼気迫るような講演会と地元の挨拶回りの甲斐もあって次第に認知されてきているようで嬉しく思います。

2月上旬に武雄を訪問した際は、樋渡氏がどういう人物かまだ知られておらず、恩師や知人に彼の人となりを紹介することに努めました。 政策論争などはまだまだで、名前をいかに知ってもらうかの時期でした。「若すぎる。」とか「霞ヶ関の人間では武雄は無理」という屁理屈で排除しようとする雰囲気も今よりも更に強かったと思います。

ところが、最近では具体的な未来の武雄市の姿を描いた38項目の政策提言集、連日の講演会等によって新武雄市をどのように創り上げるか樋渡氏の考え方を分かってくれる人が増えてきたように思えます。となると対立候補の現市長は、これからをどのような政策で進めていくのかを公開し、同じ土俵の上で樋渡氏の政策と討論して選挙に臨んでいただきたいと思います。

「まだ若い者には任せられない。あと一期やらしてくれ。」では武雄市は座して死を待つことになると思います。 古い市民の私にはこれまで武雄の姿は殆ど見えてきませんでした。県庁も佐賀県の温泉として推薦するのは嬉野です。聞こえてくるのは温泉街を始めとする旧市街地の衰亡の話ばかりで、武雄は一体どうなってしまったのだろう。・・・・・

この現状のなかで従来と同じ政策を採る限り更に事態は悪くなるばかりです。 大きく舵を切って次世代へ引き継げるような新武雄市を創り上げる時期にあると思います。 一昨年の湯陶里市騒動にすっかりあきれはて、合併協議会等々の不甲斐なさは私の紀行文で書いたとおりです。

インターネットで探しても現市政が今後武雄をどうしたいのか各論がさっぱり見えません。もし、具体的な政策討論のないまま現市政が継続すればこれまで以上に地盤沈下することは目に見えています。ここは若人に胸を貸すという大物の立場で公開討論会に望んでいただきたいものです。

同じ高校の先輩でもありますので衷心よりお願いする次第です。

と、還暦近い東京在住の古い市民は選挙戦の新たな展開と日本のみならず世界に誇りうる新武雄市の誕生をワクワクしながら待っています。


九州漫遊・食べ物

2006年03月07日 22時53分41秒 | 佐賀のこと

 九州から帰還して二週間以上たつとそろそろ記憶が曖昧になります。先日の佐賀での記憶と九州の味について即興でまとめ今回の締めくくりとします。もともと佐賀は食べ物に質素というか質素にさせられた土地柄で天領の唐津とは全く違うのではないかと思います。色々小難しい話はありますが、武雄中心に美味しいものを考えてみます。

とはいえ、今は無くなってしまったと思われる懐かしい味は。唐香(とうこう)です。この文字で良かったかどうか曖昧でありますが、醤油の搾り滓に紫蘇の実、胡麻などを混ぜて固めたものを農家の小母さんが町屋に売りに来ていました。これをぱらぱらと崩し、ご飯にかけて食べると美味しいこと、お茶漬けにしても味わいのあるものであった記憶があります。ちょうど石鹸ぐらいの大きさ、もう武雄には無いものでしょうね。と無い物ねだりです。 佐賀にはこのようなご飯の添え物が多いようです。たとえば塩辛い蟹漬けやあみ漬け、これだけでおかずなしでご飯が進みます。一説には鍋島藩では贅沢を許さなかったので一汁一菜で済ますことの出来るものが名物だとか。

 話は変わりますが、宿泊したペンション・ピクニックで美味しかったのは若楠ポークのしゃぶしゃぶとソテーでした。いくらでも食べられるという馬鹿な気分になりました。これ以上デブになったら困るのですが、やっぱりデブになって帰りました。(汗)

 武雄では忘れ去られかけていますが、有明海の海産物が昔からの武雄の味の一つでしょう。 まずはムツゴロウ、高橋の町には一畳ほどの生け簀にムツゴロウを入れてその場で蒲焼きにしてくれる魚屋がありました。次は正月の生牡蠣、これは美味かった。武雄ではセッカといった記憶があります。海のもので一番好きなものは海茸です。元はといえば貝の一種だと思いますが、普通は干し物です。スルメの味わいですが香りがいいと思います。一昨年武雄で生のバター炒めを食べましたがこれも良かった。あとはグロテスクなワラスボマテ貝などを懐かしく思います。

 忘れ去られたものはです。赤身鯨の刺身は日常のものでしたが、我が家のご馳走は祖母と母の実家の有田から買ってきた百尋(ひゃくひろ)でした。大根ほどの塊を薄くスライスするとまるでロースハムです。親父の酒の友でありました。白長須鯨の小腸をボイルしたもので有田の魚屋にいつもありました。今や浅草では高級品として鰯鯨のものなどが売られていますが、昔のものほど美味しく感じません。ノスタルジィなんでしょうか。今回は九州の地で鯨を食べることはありませんでした。

武雄は温泉です。東京で目にするのは温泉豆腐ですけど大抵は嬉野版です。嬉野の温泉が豆腐をよく溶かすと聞いています。武雄のお湯はいかがなものでしょうか?

有田では呉豆腐が名物のようですが、武雄では泡雪豆腐といいましたっけ?片栗で固めた豆腐でしょうか、お寺でいただく胡麻豆腐の味わいです。

このあと熊本へ回りました。やっぱり馬刺しを堪能しました。デパートで買っ  てカミさんの実家でたらふく食べました。これ以外に買ったものは馬ロースカツ、ビーフカツ。これらがさりげなくデパートの食品売り場に並んでいます。油濃いことはなくあっさりとしていたのはやっぱり馬肉です。当然辛子蓮根もつまみとして頂戴した次第です。 そして東京へのお土産は、森の辛子蓮根とカリンゼリー?の古来のお菓子加勢以多(かせいた)でした。

加勢以多は昔から製造していた山城屋が倒産したので香梅が引き取って作っていました。昔のものより洗練されすぎかも知れません。

今回は博多、武雄、熊本と動き回りましたが、結局これはと云うものを食べたような気がしません。ラーメンも食べずじまいです。もう少し計画的に九州の食を回りたいものです。今回のテーマを選んでちょっと反省しています。(汗)


九州漫遊・焼き物続き

2006年03月03日 17時38分10秒 | 佐賀のこと

 外出先から今戻りました。慌てて今晩の番組のことを書いております。というのは今朝高校の友人から電話があって、「今日のNHK総合20:00からの番組に親父が出るぞー」という連絡でした。辻精磁社ご当主14代の辻常陸(ひたち)さんです。96歳だそうです。新聞によると「鶴瓶の家族に乾杯と」いう番組ですので有田に興味をお持ちの方は是非ご覧下さい。96歳現役陶芸家に驚嘆と番組表に書いてあるので楽しみです。 昨年暮れに展示会に上京されておりましたのでお会いしたばかりです。有田も実は武雄高校の校区でして、いっそのこと一緒になったらいいなと思っております。(笑)

そういえば有田の散策で、辻精磁社のショウルームから陶山神社へ行ったことを書き漏らしていました。この神社の鳥居は磁器でできた立派なものです。奉納された巨大な磁器の数々も見ものです。ここも30年ぶりぐらいにお参りしました。地元の人がのんびりとゲートボールを楽しんでおり、それを眺めている犬が微笑ましく思いました。

3/4追記

昨晩鶴瓶さんの番組を見ましたが、次回に続くでした。今度は3/10放送です。辻さんも最後にちょっとだけでしたが、大変お元気そうで何よりです。禁裏御用だったので一般には馴染みのない窯元なのですが、色鍋島とは違った形で有田のブランドを支えてきた窯だと思っています。今の皇室のイベントにおける引き出物の多くは辻精磁製品のようです。が、銘無しのはず。