からくり出張所

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人は変わらない

2008年12月23日 10時05分04秒 | 偶成

 ブログというものは殆ど書きっぱなしなので一年前、二年前に何を書いたか忘れています。昨晩は2006年春の武雄市長選で何を書いていたのか読み直していましたが、人の考えは変わらないものであると再認識しました。

それはともかく、その前後で書いていた記事を現在の不況に照らし合わせるとやっぱり考えはずれていなかったなと思ったので2006年2月1日から一部再掲してみます。私の意見と云うよりその当時共感したのは藤原正彦氏の国家の品格にあった一節です。

「どんな国でも経済的に発展する場合、常に工業の発展がベースとなります。金融やサービスによる繁栄は、偽の繁栄であり長続きしません。どの国でも、多少の才覚さえあれば、すぐに真似ることが出来るからです。一方、工業が発展するには、高い質の労働者の他に、それを支える基礎力としての数学や理論物理が強くないとうまくいきません。工業やエンジニアリング、テクノロジーなどはいわば「風下」にあたるわけですが、風上にあたる数学や理論物理にレベルが高くないと、長期的な発展は望み得ない。」

(国家の品格、藤原正彦、2005.11.15、新潮新書)

これは当時のマスコミが云うところのIT企業定義の不思議を感じたので書いたのですが、教員二年目となりあらためてこの通りであると思っています。今年はノーベル賞で日本人が受賞したので上の観点で世界は見ていると思います。これが日本の最後の光にならないことを願います。

 今朝の読売新聞によれば高校も「脱ゆとり」と教育の見直し報道ですが、私の子供時代に云われたのは学問に王道無し刻苦勉励などでした。 明治20年生まれの祖母は昭憲皇太后の歌であると「金剛石も磨かずば玉の光もそわざらむ・・・・・」をよく引き合いに出してくれていました。 古くても当たり前のことは当たり前と思いました。ゆとりだとかさわやかだとか耳に優しい言葉に誤魔化されて楽をしようと思ってはいけないようです。 そういえば湯陶里市などにならなくてよかったと思います。

ついでに金剛石の御歌を検索してみるとこんな内容でした。深い(汗)

金剛石も磨かずば、玉の光はそわざらん

人も学びて後にこそ、真の徳はあらわるれ

時計の針の絶え間なし、まわるが如く時の間か

日影惜しみて励みなば、如何なる技 がならざらん

ということで、さてこれから大掃除です。(苦笑)