あちこち忙しく走り回った感のある今回の九州行きでしたが、やっと帰路に付いています。今夕予定があるのでせっかくの九州でしたが、本日出立。 もう一日とって気まま旅の日にするつもりはあえなく沈没してしまいました。
それでも気のおけない友人と博多宴会ができ、更には50年ぶりに会う級友もいる小学校の同期会に初めて出席したのは何よりでした。古い記憶を辿るのはクイズの謎解きのようで苦手でありますが、回答率はまずまずではなかったかと思っています。50年の月日は人それぞれの年輪を刻んでおりました。 はたして 私はどうだったのでしょうか?? 地元の中核になり頑張っている旧友は頼もしい限りでした。
武雄市では今回初めてお目にかかった有田の館長さん、お土産ありがとうございました。わざわざ来てくれた美人のおねぇーさん(笑)、予定が合わずに会いそびれた帰農した友人、楼門朝市ではタッチの差で市長さんと入れ違い、公務頑張ってください。奥様に会えたからまあいいです。などなど巡り会いがありました。 この朝市では思いがけず友人の弟氏や、東京で何度かお目にかかっていた市役所の方からも声をかけられました。思いがけないところで知り合いに会うのは嬉しいことです。 名物イノシシとっしん汁と楼門珈琲が鞄に入りました。
高橋の町で開かれた小学校の同期会。懐かしい長崎街道の料亭ででしたが、いまや閑散として歯抜けの町並みです。町並みが明るいのは実はいいことではありません。町の産土神の高橋天満宮にひっそりと建ててあったかっての高橋の町並みを描いた看板を見つけました。これは貴重な資料だと思い写しておきました。このような裏通りに置くには勿体ないと思います。でもこのようなものが掲示されているとは思ってもみませんでした。
私の子供時代よりも遙か昔の大正末期の町並みです。確かに祖父母の家もあります。戸々をじっくり調べてみようと思います。
この天満宮の境内にある聖徳太子像です。衰亡し始めた高橋町の興隆を願って町のご婦人方が建立したものです。発起人の名前に曾祖母と懐かしい祖母の名前を見つけました。
とここまで書いたところで名古屋は間近、木曽川を渡りました。あと二時間ボーッとしておこうと思う年寄り旅です。
この旅、またあらためてまとめてみるつもりです。