今回は専門家?向けの趣味のお話です。それにしてはちょっとファジーな内容は、御容赦下さい。(汗)
国内で実際に走行可能な本物の蒸気機関車は何台あるのでしょうか。ましてや本線上を走っている機関車となるとJR西日本の山口号C571をはじめ指折り数えられる程度です。東京から近いところでは先日鐡道仲間と乗ってきた真岡鐡道のC12があります。 しかしながら、動かして楽しんでいるだけでは消耗するばかりです。事あるごとに補修しておかなければ老齢による引退と肝心な再生技術が廃れてしまおそれがあります。 JR九州のあそboyは車齢80歳を越え、フレームが歪んだために引退となりました。(もっとも新幹線工事と何らかの関係があるのではと睨んでおりますけど(笑)) まあ、あそboyが数億円かけて台枠を再生し2009年に熊本ー人吉間を走ることになったのは嬉しいニュースでした。 注目すべきことは100歳近い車体が重い列車を牽いて山坂を走るのは自動車には真似できない寿命の長い外燃機関の特徴のようです。 自分でエネルギー発生工場を背負い自前のエンジンで独立独歩の行動をする蒸気機関車の潔さはこれからの生活で見習うべき手本であると勝手に考えています。(汗) 米国の大型機関車には比べるべくもありませんが、軽薄短小ではない日本の産業記念物として残して欲しいものの一つだと思います。
ところで、子供の頃はどこでも見ることの出来た蒸気機関車がいつの間にか消え去って久しくなります。 高校まで過ごした佐賀県武雄市を通る佐世保線でお馴染みだった機関車は後部補機だったC11は別として通学ではC57、貨物はD51と相場が決まっていました。佐賀から唐津へは9600という大正時代の機関車だったはず。 沢山いたので蒸気機関車の名前など全く覚える気がありませんでした。習い覚えたカメラで鹿児島県鳥栖駅で写して引き伸ばしたのが、あそboyと同型機の8620でした。まともに名前を意識したのはこれぐらいだったと思います。
なかでもD51は長い貨物を牽いて疾走していきます。近所に住む現役の機関士から2500馬力云々と地元の駅で色々教わったこともあります。 そのD51の中で煙突とドームが一体になっている機関車がたまに走ってくると子供達は「あ、流線型だ!」と歓声を上げておりました。あの機関車だけは異型のせいかはっきりと思い出します。 それとともにその時の風景も浮かんでくるという印象深い機関車です。 普通の煙突を持つD51を好むファンが多いようですが、私はこのようなことから流線型のD51が好きです。思い出のなせる技でしょうか。 専門家は途中までのカバーなので半流とかナメクジとかいうようですが、失礼な話であって、このタイプが流線型であると子供の頃から信じ切っています。(笑)
ところで、この流線型のD51がアスターホビーから45mmゲージのライブスチームモデルとなって世の中に送り出されるようです。このことだけでもライブ雀たちがかしましく鳴いております。 カタログを見る限りではかなり強力な機関車と思われます。粘着力が大きければ我が機関区にいるBerkshireと同等の力があるような気がしています。 シリンダーのボアが15mm、ストローク22mm、 かっての製品C622よりも強力なエンジンです。
さて今回のライブスチームD51、関係者にどのようなドラマをもたらすのでしょうか? 大いに楽しみです。 私にとっては金を失う道の始まりの予感もありますが、鐡の道に戻さなければいけません。(笑) (そのうちに続きを書きましょう)
しかし、九州地区には一時10両以上いたようです。特に鳥栖機関区には4~5両いたようです。(羨ましい)さらに密閉キャブとなると14両と少なかったようです。(これらは全て北海道ですが。)
D5122と23は昭和10年代はスーパーナメクジとして有名ですが、31番はナメクジのお尻が切れた「小田原かまぼこ風」になっていました。言い方を変えるとスーパーナメクジのではなく「スーパーナ」と言ったところでしょうか。
今後の展開つらいけど頑張ります。(汗)