5月30日と31日に指された名人戦七番勝負第五局の回顧です。
勝った方が名人位に王手を掛けるという大事な一番は挑戦者の郷田真隆九段の先手で初手は第一局と同様に▲2六歩。今度は森内俊之名人も△8四歩と受け,相掛りの▲2八飛と△8四飛の対抗形に。先手が4筋の位を取ったのに対し後手から30手目に△7五歩と仕掛けるという,先手が浮飛車に構えた場合の先手と後手が入れ替わったような,ちょっと珍しいと思える将棋になりました。
封じ手は35手目の▲4四歩でしたが,このあたりで郷田九段はすでに作戦失敗と感じていたようです。先手が飛車を浮いて4筋に歩を垂らしたのに対し,44手目の△2三歩~△3三金が力強い受け方で,先手は押さえ込まれました。決定的な敗着は55手目の▲6六歩で,ここは再度▲4四歩と垂らす方がまだよかったそうです。森内名人も次の△4六歩で優勢を自覚したとのこと。
ここで▲4八金はおそらく最も粘れる手。以下,△8八歩から角を打ち込み飛車を切るという猛攻をかけ,先手玉が打歩詰めで不詰みとなった78手目から,△3三角▲4二歩△同角と受けに回ったのは僕には変調というか不思議に感じられたのですが,遠山四段によるとこういうのは「絶対に逆転を許さないという気迫」の現れだそうで,確実を期したということのよう。もちろんそのまま反撃を凌ぎ,後手の勝ちとなっています。
これで連敗後の3連勝で森内名人が防衛に王手。この流れからしてみても防衛の線が濃くなったように思いますし,大方の見方もそのようですが,郷田九段にはこれを覆してほしいところです。
明日は安田記念。この路線に強い香港のトップクラスが4頭も出走しているのでどれかが勝つのではないかと思います。順番をつければジョイフルウィナー◎,ザデューク○,グッドババ▲,エイブルワン△。日本馬ではダイワメジャー△とサクラメガワンダー△。
次に,こうした人間の精神による事物の表象というのが,混乱した観念であるということを証明していくことにします。簡単ですので先に想起と想像から。
表象は観念ですので,これは十全な観念であるか混乱した観念であるかのどちらかです。そこでもしもこれが十全な観念であるなら,第二部定義四により同時に真の観念であり,第一部公理六により,その観念には実在的な対象が存在するということになります。
さて,人間の精神がたとえばAを想起する,あるいはAを想像するというとき,これはこの人間の精神のうちに,現実的に存在するAの観念があるということ,すなわち,この人間はAが自分自身の現前に存在しているという観念を有しているということをどちらの場合も意味しているのですが,想起とか想像というのは,それ自体で,実際にはAがこの人間には現前していないという意味を含んでいます。したがって,この観念はその対象が実在的ではない,いい換えればこの観念は実在的な対象を有さないということになります。
あとは事前の仮定を遡ればいいだけです。つまり,想起と想像は,真の観念ではなく,よって十全な観念でもなく,したがって混乱した観念であるということになります。
勝った方が名人位に王手を掛けるという大事な一番は挑戦者の郷田真隆九段の先手で初手は第一局と同様に▲2六歩。今度は森内俊之名人も△8四歩と受け,相掛りの▲2八飛と△8四飛の対抗形に。先手が4筋の位を取ったのに対し後手から30手目に△7五歩と仕掛けるという,先手が浮飛車に構えた場合の先手と後手が入れ替わったような,ちょっと珍しいと思える将棋になりました。
封じ手は35手目の▲4四歩でしたが,このあたりで郷田九段はすでに作戦失敗と感じていたようです。先手が飛車を浮いて4筋に歩を垂らしたのに対し,44手目の△2三歩~△3三金が力強い受け方で,先手は押さえ込まれました。決定的な敗着は55手目の▲6六歩で,ここは再度▲4四歩と垂らす方がまだよかったそうです。森内名人も次の△4六歩で優勢を自覚したとのこと。
ここで▲4八金はおそらく最も粘れる手。以下,△8八歩から角を打ち込み飛車を切るという猛攻をかけ,先手玉が打歩詰めで不詰みとなった78手目から,△3三角▲4二歩△同角と受けに回ったのは僕には変調というか不思議に感じられたのですが,遠山四段によるとこういうのは「絶対に逆転を許さないという気迫」の現れだそうで,確実を期したということのよう。もちろんそのまま反撃を凌ぎ,後手の勝ちとなっています。
これで連敗後の3連勝で森内名人が防衛に王手。この流れからしてみても防衛の線が濃くなったように思いますし,大方の見方もそのようですが,郷田九段にはこれを覆してほしいところです。
明日は安田記念。この路線に強い香港のトップクラスが4頭も出走しているのでどれかが勝つのではないかと思います。順番をつければジョイフルウィナー◎,ザデューク○,グッドババ▲,エイブルワン△。日本馬ではダイワメジャー△とサクラメガワンダー△。
次に,こうした人間の精神による事物の表象というのが,混乱した観念であるということを証明していくことにします。簡単ですので先に想起と想像から。
表象は観念ですので,これは十全な観念であるか混乱した観念であるかのどちらかです。そこでもしもこれが十全な観念であるなら,第二部定義四により同時に真の観念であり,第一部公理六により,その観念には実在的な対象が存在するということになります。
さて,人間の精神がたとえばAを想起する,あるいはAを想像するというとき,これはこの人間の精神のうちに,現実的に存在するAの観念があるということ,すなわち,この人間はAが自分自身の現前に存在しているという観念を有しているということをどちらの場合も意味しているのですが,想起とか想像というのは,それ自体で,実際にはAがこの人間には現前していないという意味を含んでいます。したがって,この観念はその対象が実在的ではない,いい換えればこの観念は実在的な対象を有さないということになります。
あとは事前の仮定を遡ればいいだけです。つまり,想起と想像は,真の観念ではなく,よって十全な観念でもなく,したがって混乱した観念であるということになります。