5月のかしわ記念を勝ったブルーコンコルド。何度も紹介しているようにこの馬の母系はアストニシメントの一族なのですが,この馬の名前のもととなった父,フサイチコンコルドもまた活躍馬です。
体質に弱いところがあり,デビューは遅く3歳の1月。この新馬を勝つとまた2ヶ月の休養を挟んでオープン特別も勝ちました。今度は3ヶ月休んでダービーに出走。これを制しました。以前はともかく,キャリア3戦目でのダービー優勝は驚異的で,今後もこういう記録はそうも出てこないのではないかと思います。
秋は古馬相手のオープン特別を復帰戦に選びこれを2着。ここをステップに菊花賞に向かいましたがこれは3着に敗れ,その後は走ることなく引退となってしまいました。
種牡馬としてはこのブルーコンコルドが現在のところは代表産駒。ほかに重賞の勝ち馬が3頭輩出しています。
明日は高松宮記念杯の決勝。並びは北日本が4人いますが,佐藤ー山崎ー斎藤で,岡部は単騎。小嶋ー山田の中部,北津留ー荒井ー合志の九州。ここは先行争いがあるとみて小嶋選手◎と山田選手○で。もちろん荒井選手▲と山崎選手△にもチャンスがあるでしょう。
第二部定理二五は,僕の考えでは第二部定理一六系二に訴えることで証明が可能です。しかしこのためには,第二部定理一七の証明の手続きを確認しておかなければなりません。
第二部定理一七の証明に第二部定理一二を援用する限り,人間の身体が外部の物体とある関係を有するときにその人間の精神のうちに生じる観念は,ある十全な観念であるということになります。第二部定理一二が抱えている問題を避けるために,ここではそれがどのような十全な観念であるのかということについては,はっきりとした結論を出していませんが,仮にここで,この人間の身体を刺激している外部の物体について,何らかの十全な観念があると仮定してみます。
ここで定理一六系二に訴えれば,この観念が単にその外部の物体の本性だけを含むのではなく,同時にこの人間の身体の本性を含んでいるということについては明らかだといえるでしょう。したがってこの観念がこの外部の物体について何らかの意味で十全であるとすれば,それはこの外部の物体の本性と同時に,自分自身の身体の本性を含む限りで十全である,いい換えれば,この観念はこの物体が人間の身体を刺激する限りでこの人間の精神のうちに生じるのですから,まさにこの物体とこの人間がある関係を有する限りで十全なのであって,もしもこの関係を離れ,単にこの物体をそれ単独でみるならば,十全ではない,すなわち混乱した観念であるということになります。よって,人間身体の刺激状態の観念は,この身体を刺激する外部の物体の十全な観念ではないということになるのです。
体質に弱いところがあり,デビューは遅く3歳の1月。この新馬を勝つとまた2ヶ月の休養を挟んでオープン特別も勝ちました。今度は3ヶ月休んでダービーに出走。これを制しました。以前はともかく,キャリア3戦目でのダービー優勝は驚異的で,今後もこういう記録はそうも出てこないのではないかと思います。
秋は古馬相手のオープン特別を復帰戦に選びこれを2着。ここをステップに菊花賞に向かいましたがこれは3着に敗れ,その後は走ることなく引退となってしまいました。
種牡馬としてはこのブルーコンコルドが現在のところは代表産駒。ほかに重賞の勝ち馬が3頭輩出しています。
明日は高松宮記念杯の決勝。並びは北日本が4人いますが,佐藤ー山崎ー斎藤で,岡部は単騎。小嶋ー山田の中部,北津留ー荒井ー合志の九州。ここは先行争いがあるとみて小嶋選手◎と山田選手○で。もちろん荒井選手▲と山崎選手△にもチャンスがあるでしょう。
第二部定理二五は,僕の考えでは第二部定理一六系二に訴えることで証明が可能です。しかしこのためには,第二部定理一七の証明の手続きを確認しておかなければなりません。
第二部定理一七の証明に第二部定理一二を援用する限り,人間の身体が外部の物体とある関係を有するときにその人間の精神のうちに生じる観念は,ある十全な観念であるということになります。第二部定理一二が抱えている問題を避けるために,ここではそれがどのような十全な観念であるのかということについては,はっきりとした結論を出していませんが,仮にここで,この人間の身体を刺激している外部の物体について,何らかの十全な観念があると仮定してみます。
ここで定理一六系二に訴えれば,この観念が単にその外部の物体の本性だけを含むのではなく,同時にこの人間の身体の本性を含んでいるということについては明らかだといえるでしょう。したがってこの観念がこの外部の物体について何らかの意味で十全であるとすれば,それはこの外部の物体の本性と同時に,自分自身の身体の本性を含む限りで十全である,いい換えれば,この観念はこの物体が人間の身体を刺激する限りでこの人間の精神のうちに生じるのですから,まさにこの物体とこの人間がある関係を有する限りで十全なのであって,もしもこの関係を離れ,単にこの物体をそれ単独でみるならば,十全ではない,すなわち混乱した観念であるということになります。よって,人間身体の刺激状態の観念は,この身体を刺激する外部の物体の十全な観念ではないということになるのです。