昨日の別府記念の決勝。やはり動画がありませんので,記事を元にした回顧です。
前受けとなった金子選手を,後方から3番手に上がった北津留選手が打鐘から追って先行争い。ダッシュ力でこれを金子選手が制して突っ張り先行。小野選手はこのラインの3番手にスイッチ。バックから浜田選手が発進も,3コーナーで小野選手に合わせられて一杯。小野選手も木本選手の牽制で行ききれず,この牽制のために開いた金子選手と木本選手の間を伸びた井上選手が伸びて優勝しました。浜田選手に勢いをもらった関東勢が外から踏み込み,神山選手が2着で3着にも小橋選手。
優勝した長崎の井上昌己選手は,昨年のオールスターを勝っていますが,記念競輪はこれが初優勝。今回は完全優勝ということで,調子もよかったようです。自力選手ですが3番手から2勝ということで,展開に恵まれた部分があったのも事実でしょうが,こういう形でも勝って形を残したのは,今後の並びということを考えると意外と大きかったのではないかと思います。
人間の精神のうちにたったひとつでも真の観念がありさえすれば,その人間は真理一般というのがどういうものであるのかということを認識することができるわけですが,このことは必ずしも,人間というのが一般的に真理の何たるかを確実に知ることができるということを意味しているというわけではありません。なぜならそれ自体で明らかだと思いますが,このことのうちには,人間の精神のうちには真の観念があるということが含まれているというわけではないからです。そこで,一般に人間の精神のうちには,ひとつでよいので真の観念があるのかどうかということが問題になってくると思います。
もしもこのブログを通読されているならお気付きかと思いますが,このことは共通概念という別の観点からすでに解決されています。つまり,共通概念というのは十全な観念・真の観念ですが,第二部定理三八により,人間の精神のうちには最も一般性が高い共通概念=十全な観念・真の観念が存在するということになっています。すべての物体に共通である事柄は,人間の身体が外部の物体と関係しさえすればその人間の精神のうちに生じますから,このことは,僕がこの定理を証明した方法からさらに明らかであると思います。
よって,人間の精神のうちには,少なくともひとつの真の観念があるということについては,これで問題がないであろうと考えます。したがって,人間は現実的に,真理一般というのがどういった性質を帯びているのかということを理解すると結論し,これを前提に考察を続けることとします。
前受けとなった金子選手を,後方から3番手に上がった北津留選手が打鐘から追って先行争い。ダッシュ力でこれを金子選手が制して突っ張り先行。小野選手はこのラインの3番手にスイッチ。バックから浜田選手が発進も,3コーナーで小野選手に合わせられて一杯。小野選手も木本選手の牽制で行ききれず,この牽制のために開いた金子選手と木本選手の間を伸びた井上選手が伸びて優勝しました。浜田選手に勢いをもらった関東勢が外から踏み込み,神山選手が2着で3着にも小橋選手。
優勝した長崎の井上昌己選手は,昨年のオールスターを勝っていますが,記念競輪はこれが初優勝。今回は完全優勝ということで,調子もよかったようです。自力選手ですが3番手から2勝ということで,展開に恵まれた部分があったのも事実でしょうが,こういう形でも勝って形を残したのは,今後の並びということを考えると意外と大きかったのではないかと思います。
人間の精神のうちにたったひとつでも真の観念がありさえすれば,その人間は真理一般というのがどういうものであるのかということを認識することができるわけですが,このことは必ずしも,人間というのが一般的に真理の何たるかを確実に知ることができるということを意味しているというわけではありません。なぜならそれ自体で明らかだと思いますが,このことのうちには,人間の精神のうちには真の観念があるということが含まれているというわけではないからです。そこで,一般に人間の精神のうちには,ひとつでよいので真の観念があるのかどうかということが問題になってくると思います。
もしもこのブログを通読されているならお気付きかと思いますが,このことは共通概念という別の観点からすでに解決されています。つまり,共通概念というのは十全な観念・真の観念ですが,第二部定理三八により,人間の精神のうちには最も一般性が高い共通概念=十全な観念・真の観念が存在するということになっています。すべての物体に共通である事柄は,人間の身体が外部の物体と関係しさえすればその人間の精神のうちに生じますから,このことは,僕がこの定理を証明した方法からさらに明らかであると思います。
よって,人間の精神のうちには,少なくともひとつの真の観念があるということについては,これで問題がないであろうと考えます。したがって,人間は現実的に,真理一般というのがどういった性質を帯びているのかということを理解すると結論し,これを前提に考察を続けることとします。