スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高松記念&混乱した観念

2007-06-20 22:43:20 | 競輪
 昨日の高松記念の決勝(動画)は,各車が出渋る牽制気味の発走になりました。
 結局は渡部選手がSを取って前受け。中団が伏見選手で後方から田中選手。残り2周のホームで田中選手が上昇を開始すると伏見選手もこれに合わせて上昇。1コーナーで田中選手が渡部選手を叩くと,伏見選手は下げずに分断狙いの番手戦にいきました。荒井選手は自ら引くような形となり,打鐘過ぎには伏見選手が番手を奪って田中選手の先行。残り1周のホームから渡部選手の巻き返し。これに対して車間を開けていた伏見選手がうまく対応し,バックに入ってから番手捲りを敢行。これが決まって伏見選手と番手の手島選手の争いとなり,ゴール前で伏見選手を差した手島選手の優勝。伏見選手が2着で,3番手の広川選手が内へいったので,渡部選手の番手から手島選手を追うような形となった香川選手が3着に入りました。
 優勝した群馬の手島慶介選手は4月の西武園記念に続いて早くも今年3度目の記念競輪優勝。昨年までの通算で3度しか優勝していなかったわけですので,いかに力をつけてから,安定して走れているかが分かります。ただし,ここはたぶんに展開に恵まれたといえるでしょう。この選手も目指すはGⅠ制覇ということになります。
 当地三連覇こそならなかった2着の伏見選手ですが,番手戦を挑み,うまく奪取して,渡部選手に合わせて自力発進したもので,さすがの力は見せてくれたと思います。

 明日からは別府記念になります。ここはやはり山崎選手が中心でしょうか。

 第二部定理一七やその,また第二部定理一九などから,人間の精神を現実的に構成している観念の多くは,人間精神の表象による混乱した観念であると考えられるわけです。一方で,この第二部定理三三の証明は,それ自体では,虚偽とされる混乱した観念について,それはであると主張しているようにみえますので,何か齟齬を来していると思われるかもしれません。そこでこれについての僕の考え方を説明しておきます。
 まず,混乱した観念とは虚偽であって,虚偽は真理が有であるのに対して無ですから,本来は混乱した観念があるといういい方はおかしいのです。これは,第二部定理七系の意味からして,神のうちにある観念がすべて十全な観念であるのに対し,第一部定理一五によれば,どんな観念も神がなくてはあることができないので,混乱した観念はあることができないというようにも証明できると思います。
 ここで重要になってくるのが第二部定理一一系の意味であって,人間の精神がある事物についてそれを混乱して認識する,つまりそうした事物の混乱した観念がこの人間の精神の一部を構成するというのは,この人間の精神の本性を構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りで神のうちにその観念があるという意味なのです。この神のうちにある観念は,定理七系により十全な観念です。したがってこの場合には,この人間の精神のうちにある混乱した観念についても,それがあるということが可能でしょう。つまり,人間の精神のうちにXの混乱した観念があるというのは,神のうちにXの十全な観念があるという意味であって,その場合には有であるということになります。僕が考えるに,第二部定理三三というのは,神のうちにある観念一般の側からではなく,ある特定の観念の側からこうしたことをいっているのだと思います。
コメント
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