3歳牝馬のダートチャンピオン決定戦の関東オークス。
一斉の発馬からマルノマンハッタンが先頭に立ちましたが,外からパチョリがこれを交わし,1周目の正面から2周目の向正面にかけて後続を3馬身から4馬身離しての逃げ。2100メートルなので正確なラップは分かりませんが,前半の1000メートルはおそらく62秒台で,メンバーを考えれば超ハイペースであったと思います。
中位に控えていた1番人気のホワイトメロディーは3コーナーの手前から進出。パチョリはすぐに後退して,2番手で追っていたカネショウバナナが食い下がりましたがこれも4コーナーまで。直線に入るとホワイトメロディーが抜け出し,後方からのレースになったケアレスウィスパーが追ってはきたものの,前を捕まえるだけの脚色はなく,2馬身半の差をつけてホワイトメロディーが優勝。ケアレスウィスパーが2着で,5馬身差の3着にはアルヴィスが食い込み,JRA勢の上位独占となりました。
優勝したホワイトメロディーはこれが重賞初制覇。前々走の芝では結果が出ませんでしたが,前走はオープン特別を牡馬相手に僅差の3着になっていて,牝馬同士では力が上でした。前半が速かったということもありますが,2分16秒5という勝ちタイムも良馬場としては優秀と思います。やや折合を欠く面がありますので,ハイペースも味方したのではないでしょうか。
2着のケアレスウィスパーは前走でホワイトメロディーと同じレースに出走。おおよそそのときと同じ程度の差今日もをつけられていますので,現状での能力は出したものと思います。
第四部定理一で証明されていることは,具体的に考えればたとえば次のようなことであるといえると思います。
僕たちは夜空に月を見上げるとき,実際には月がそこにある位置よりは,ずっと近くにあるように知覚します。これが第二部定理一七による,人間の精神による月の表象です。しかし,実際には月は僕たちがそう感じるよりはずっと遠い位置にあるわけですから,第二部定理二五に示されているように,これが混乱した観念であるということは明らかだといえるでしょう。そこでもしも,僕たちが月をただこのように表象し,月の真の位置,すなわち地球と月との間の距離について何らの観念も有さず,また,人間の視覚の特性等についても何も知らないと仮定するなら,僕たちは月が実際にあるよりも近い位置にあると認識することになると思います。
一方,僕たちが月と地球の間にある距離について,あるいは人間の視覚というものの特性について,正しいことを知っているならば,僕たちは少なくともそのことについてはある真の観念を有しているということになります。しかし,そうした真の観念を有していさえすれば,月が実際にあるような遠くの位置に知覚できるかといえば,そうではありません。むしろそうしたことを知っていようと知っていまいと,月は実際にあるよりは近い位置にあると僕たちは表象するのです。したがって,真の観念が真であるということだけでは,僕たちの混乱した観念,とくに表象が排除されることはないということが,経験的にも証明できるのではないかと思います。
一斉の発馬からマルノマンハッタンが先頭に立ちましたが,外からパチョリがこれを交わし,1周目の正面から2周目の向正面にかけて後続を3馬身から4馬身離しての逃げ。2100メートルなので正確なラップは分かりませんが,前半の1000メートルはおそらく62秒台で,メンバーを考えれば超ハイペースであったと思います。
中位に控えていた1番人気のホワイトメロディーは3コーナーの手前から進出。パチョリはすぐに後退して,2番手で追っていたカネショウバナナが食い下がりましたがこれも4コーナーまで。直線に入るとホワイトメロディーが抜け出し,後方からのレースになったケアレスウィスパーが追ってはきたものの,前を捕まえるだけの脚色はなく,2馬身半の差をつけてホワイトメロディーが優勝。ケアレスウィスパーが2着で,5馬身差の3着にはアルヴィスが食い込み,JRA勢の上位独占となりました。
優勝したホワイトメロディーはこれが重賞初制覇。前々走の芝では結果が出ませんでしたが,前走はオープン特別を牡馬相手に僅差の3着になっていて,牝馬同士では力が上でした。前半が速かったということもありますが,2分16秒5という勝ちタイムも良馬場としては優秀と思います。やや折合を欠く面がありますので,ハイペースも味方したのではないでしょうか。
2着のケアレスウィスパーは前走でホワイトメロディーと同じレースに出走。おおよそそのときと同じ程度の差今日もをつけられていますので,現状での能力は出したものと思います。
第四部定理一で証明されていることは,具体的に考えればたとえば次のようなことであるといえると思います。
僕たちは夜空に月を見上げるとき,実際には月がそこにある位置よりは,ずっと近くにあるように知覚します。これが第二部定理一七による,人間の精神による月の表象です。しかし,実際には月は僕たちがそう感じるよりはずっと遠い位置にあるわけですから,第二部定理二五に示されているように,これが混乱した観念であるということは明らかだといえるでしょう。そこでもしも,僕たちが月をただこのように表象し,月の真の位置,すなわち地球と月との間の距離について何らの観念も有さず,また,人間の視覚の特性等についても何も知らないと仮定するなら,僕たちは月が実際にあるよりも近い位置にあると認識することになると思います。
一方,僕たちが月と地球の間にある距離について,あるいは人間の視覚というものの特性について,正しいことを知っているならば,僕たちは少なくともそのことについてはある真の観念を有しているということになります。しかし,そうした真の観念を有していさえすれば,月が実際にあるような遠くの位置に知覚できるかといえば,そうではありません。むしろそうしたことを知っていようと知っていまいと,月は実際にあるよりは近い位置にあると僕たちは表象するのです。したがって,真の観念が真であるということだけでは,僕たちの混乱した観念,とくに表象が排除されることはないということが,経験的にも証明できるのではないかと思います。