皐月賞を勝ったヴィクトリーの母系を紹介します。
日本では新しい牝系で,祖となっているのは1988年にアイルランドで産まれたバレークイーン(1-l)という馬。繁殖牝馬としては日本だけで活動している馬ですが,輸入されたときには現地で種付けされたCaerleonの仔を受胎していました。このCaerleonは日本では種牡馬活動をしていないのですが,輸入された馬の多くが活躍して,日本の競馬に大きな適性を示した馬。無事に産まれたバレークイーンの初仔もその1頭で,それがフサイチコンコルド。つまり初仔がダービー馬になったわけです。
ヴィクトリーの母,グレースアドマイヤはその翌年の産駒。この馬も重賞で2着1回,3着1回とそこそこ走りました。
繁殖に入ったグレースアドマイヤが最初に産んだのがリンカーン。1世代上にシンボリクリスエス,同期にはネオユニヴァースとゼンノロブロイ,1世代下にハーツクライ,2世代下にディープインパクトと,いずれも日本競馬史に名を残すような強敵に阻まれ大レース制覇こそならなかったものの,重賞は3勝しました。
このリンカーンの半弟としてヴィクトリーが誕生したわけです。いかにこの牝系が優秀であるか,また,将来は大きく発展していくであろうということが分かるのではないかと思います。
明日は棋聖戦五番勝負第一局が指されます。Logical Spaceさんがリアルタイム解説をされると思います。私用がありますが,早く終れば僕も見にいくつもりです。
ここでは簡潔に,第二部定理二七に関しても第二部定理一六系を援用して証明することにします。すなわち,第二部定理一九により,人間の身体humanum corpusがある外部の物体corpusに刺激されるaffici場合に,その人間の精神mens humanaのうちには自分自身の身体が現実的に存在するという観念ideaが生じるわけですが,この観念をそうした物体との関係を離れて,この自分自身の身体単独でみてみれば,人間の精神のうちに生じるこの観念は,第二部定理一六系二により,単に自分自身の身体の本性naturaを含んでいるだけではなく,その自分の身体を刺激するafficere外部の物体の本性をも含んでいるがゆえに,これはその自分自身の身体についての十全な観念idea adaequataではない,いい換えれば混乱した観念idea inadaequataであるということになります。
もちろん僕は,これでこの定理Propositioが証明できていると考えていますが,やはり第二部定理一七の場合と同様に,この場合もこれは『エチカ』における本筋の証明Demonstratioとはいえないとは思います。ただ,第二部定理定理一七の本筋の証明と神との関係で証明したことのうち,外部の物体について示した事柄を,自分自身の身体に置き換えることによって,そういう証明が可能であるということは間違いないでしょう。これを繰り返すことはさすがに無用なのではないかと感じますので,この定理についてはそれを省略するということにします。
日本では新しい牝系で,祖となっているのは1988年にアイルランドで産まれたバレークイーン(1-l)という馬。繁殖牝馬としては日本だけで活動している馬ですが,輸入されたときには現地で種付けされたCaerleonの仔を受胎していました。このCaerleonは日本では種牡馬活動をしていないのですが,輸入された馬の多くが活躍して,日本の競馬に大きな適性を示した馬。無事に産まれたバレークイーンの初仔もその1頭で,それがフサイチコンコルド。つまり初仔がダービー馬になったわけです。
ヴィクトリーの母,グレースアドマイヤはその翌年の産駒。この馬も重賞で2着1回,3着1回とそこそこ走りました。
繁殖に入ったグレースアドマイヤが最初に産んだのがリンカーン。1世代上にシンボリクリスエス,同期にはネオユニヴァースとゼンノロブロイ,1世代下にハーツクライ,2世代下にディープインパクトと,いずれも日本競馬史に名を残すような強敵に阻まれ大レース制覇こそならなかったものの,重賞は3勝しました。
このリンカーンの半弟としてヴィクトリーが誕生したわけです。いかにこの牝系が優秀であるか,また,将来は大きく発展していくであろうということが分かるのではないかと思います。
明日は棋聖戦五番勝負第一局が指されます。Logical Spaceさんがリアルタイム解説をされると思います。私用がありますが,早く終れば僕も見にいくつもりです。
ここでは簡潔に,第二部定理二七に関しても第二部定理一六系を援用して証明することにします。すなわち,第二部定理一九により,人間の身体humanum corpusがある外部の物体corpusに刺激されるaffici場合に,その人間の精神mens humanaのうちには自分自身の身体が現実的に存在するという観念ideaが生じるわけですが,この観念をそうした物体との関係を離れて,この自分自身の身体単独でみてみれば,人間の精神のうちに生じるこの観念は,第二部定理一六系二により,単に自分自身の身体の本性naturaを含んでいるだけではなく,その自分の身体を刺激するafficere外部の物体の本性をも含んでいるがゆえに,これはその自分自身の身体についての十全な観念idea adaequataではない,いい換えれば混乱した観念idea inadaequataであるということになります。
もちろん僕は,これでこの定理Propositioが証明できていると考えていますが,やはり第二部定理一七の場合と同様に,この場合もこれは『エチカ』における本筋の証明Demonstratioとはいえないとは思います。ただ,第二部定理定理一七の本筋の証明と神との関係で証明したことのうち,外部の物体について示した事柄を,自分自身の身体に置き換えることによって,そういう証明が可能であるということは間違いないでしょう。これを繰り返すことはさすがに無用なのではないかと感じますので,この定理についてはそれを省略するということにします。