JRA勢が上位人気を占めた今晩の北海道スプリントカップ(動画)は,そのJRA勢が上位を独占するという堅い決着になりました。
先手を奪ったのはディバインシルバー。これをトロピカルライトとアインカチヌキが追っていき,この3頭が後続を少し離すという展開。4コーナーで馬群が大きく広がり,ディバインシルバーとトロピカルライトの間が大きく開いたところ,好位のインに控えていたアグネスジェダイとその後ろにいたプリサイスマシーンがここを突いて進出。先に抜け出したアグネスジェダイがプリサイスマシーンの追撃を凌いで優勝。プリサイスマシーンが2着で,外を回る形になったトロピカルライトが3着でした。
優勝したアグネスジェダイは昨年のクラスターカップ以来の勝利で,このレースは昨年に続いて連覇。気温の上昇とともに体調を上げるタイプ。年齢的にもう上積みはないものと思いますが,衰えているというわけでもありませんので,この夏はもう一暴れできそうです。
2着のプリサイスマシーンは1000メートルでは少し距離不足でしょう。芝ダート不問で堅実に走る偉い馬だと思います。
トロピカルライトは少し外を回りすぎた感じ。もう少しうまくコーナリングができていれば,少なくとももっときわどいレースができていたと思います。
明晩は川崎で関東オークス。混戦模様ですが,ホワイトメロディー◎,ピュアーフレーム○,ケアレスウィスパー▲,シーホアン△の順にこの4頭で。
富山記念も決勝です。並びは武田ー幸田ー諸橋の関東,新田ー金成の東日本,小嶋ー合志の西日本,石丸ー米沢の瀬戸内で4分戦。やはり小嶋選手◎と合志選手○が主力になりますが,ここはうまく駆ければ武田選手▲と幸田選手△の線もありそうです。
第四部定理一にあるように,ただ真の観念が真であるというだけでは,人間精神のうちにある,あるいは人間の精神のうちに生じる混乱した観念,とくに表象が除去されたり排除されたりすることがないのであれば,いかにして表象(表象像)が除去ないしは排除されるのかということが,ひとつ問題になってくるのではないかと思います。
僕はこれについては,第二部定理一七の中にすでにその答えが示されていると考えています。すなわちこの場合には,もしも人間の身体がある物体の現実的存在を排除するような刺激を受けるならば,この表象は排除されるのです。ただし,第二部定理六により,観念はそれが生じるとしても除去されるとしても,その直接的原因は別の観念ということになりますので,正確を期するなら,その物体の現実的存在を排除する刺激を自分の身体が受ける観念というべきかもしれません。そしてこれは,僕が考える表象のうち,定理一七の外部の物体の知覚だけでなく,第二部定理一九の自分の身体の知覚,また第二部定理一七系の想起と,それに関連した想像の場合にも同様であるということになると思います。
したがって,表象,あるいは混乱した観念を人間の精神から排除ないし除去するのは,十全な観念であるとは限らないのです。むしろ,人間の精神を構成する観念の多くは混乱した観念であるということに注目するなら,ある混乱した観念を人間の精神のうちから排除するのは,別の混乱した観念であるという場合が多いであろうということになると思います。
先手を奪ったのはディバインシルバー。これをトロピカルライトとアインカチヌキが追っていき,この3頭が後続を少し離すという展開。4コーナーで馬群が大きく広がり,ディバインシルバーとトロピカルライトの間が大きく開いたところ,好位のインに控えていたアグネスジェダイとその後ろにいたプリサイスマシーンがここを突いて進出。先に抜け出したアグネスジェダイがプリサイスマシーンの追撃を凌いで優勝。プリサイスマシーンが2着で,外を回る形になったトロピカルライトが3着でした。
優勝したアグネスジェダイは昨年のクラスターカップ以来の勝利で,このレースは昨年に続いて連覇。気温の上昇とともに体調を上げるタイプ。年齢的にもう上積みはないものと思いますが,衰えているというわけでもありませんので,この夏はもう一暴れできそうです。
2着のプリサイスマシーンは1000メートルでは少し距離不足でしょう。芝ダート不問で堅実に走る偉い馬だと思います。
トロピカルライトは少し外を回りすぎた感じ。もう少しうまくコーナリングができていれば,少なくとももっときわどいレースができていたと思います。
明晩は川崎で関東オークス。混戦模様ですが,ホワイトメロディー◎,ピュアーフレーム○,ケアレスウィスパー▲,シーホアン△の順にこの4頭で。
富山記念も決勝です。並びは武田ー幸田ー諸橋の関東,新田ー金成の東日本,小嶋ー合志の西日本,石丸ー米沢の瀬戸内で4分戦。やはり小嶋選手◎と合志選手○が主力になりますが,ここはうまく駆ければ武田選手▲と幸田選手△の線もありそうです。
第四部定理一にあるように,ただ真の観念が真であるというだけでは,人間精神のうちにある,あるいは人間の精神のうちに生じる混乱した観念,とくに表象が除去されたり排除されたりすることがないのであれば,いかにして表象(表象像)が除去ないしは排除されるのかということが,ひとつ問題になってくるのではないかと思います。
僕はこれについては,第二部定理一七の中にすでにその答えが示されていると考えています。すなわちこの場合には,もしも人間の身体がある物体の現実的存在を排除するような刺激を受けるならば,この表象は排除されるのです。ただし,第二部定理六により,観念はそれが生じるとしても除去されるとしても,その直接的原因は別の観念ということになりますので,正確を期するなら,その物体の現実的存在を排除する刺激を自分の身体が受ける観念というべきかもしれません。そしてこれは,僕が考える表象のうち,定理一七の外部の物体の知覚だけでなく,第二部定理一九の自分の身体の知覚,また第二部定理一七系の想起と,それに関連した想像の場合にも同様であるということになると思います。
したがって,表象,あるいは混乱した観念を人間の精神から排除ないし除去するのは,十全な観念であるとは限らないのです。むしろ,人間の精神を構成する観念の多くは混乱した観念であるということに注目するなら,ある混乱した観念を人間の精神のうちから排除するのは,別の混乱した観念であるという場合が多いであろうということになると思います。