スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋聖戦&神との関連

2007-06-23 22:35:16 | 将棋
 棋聖戦五番勝負第二局は,後手の佐藤康光棋聖の構想力が光る将棋となり,結果的には快勝となりました。
 戦型は後手の一手損角換り。先手の渡辺明竜王の早繰り銀に対して右玉に構えました。これは佐藤棋聖がやってみたかった作戦とのこと。右玉はただでさえ薄いのですが,この将棋は38手目に△6二玉と作戦を明示した時点では金銀三枚が左にいますので通常よりさらに薄く,どうなのかと思わせました。
 今日も私用があって途中からの観戦。49手目に▲3七桂と跳ねたあたりからでしたが,結果から類推すると,ここではすでに後手がうまくやっているのだと思います。渡辺竜王は46手目の△4六歩で苦戦を悟ったそうで,佐藤棋聖はこの時点では自信がなかったようですが,皮肉にも渡辺竜王の大局観が勝っていたのかもしれません。たぶん先手にまずいところがあったとすれば,序盤から中盤の早い段階だったと推定できます(渡辺竜王の解説だと,そもそも早繰り銀に対して右玉にするのが優秀のようです。これが本当だと,今後は早繰り銀をやる場合にはこの対策が必要で,もしかすると減るかもしれません)が,どこだったかは僕にははっきりとは分かりません。
 ここで後手が△6五歩から攻撃開始。55手目の▲5七角,57手目の▲6七同金左などは苦心の指し手という感じで,やはり後手が快調といえそうです。
 59手目の▲2四歩を放置して△6五桂▲6六角△4三金と進めたのはおそらく好判断。▲2三歩成は先手としては仕方がないと思うのですが,このために△2七歩が生じ,72手目の△7七桂成までで後手の銀得となり,はっきり優勢になりました。ただし,歩切れですので細かい攻めは効きません。
 75手目の▲4八角には△6四馬と引き上げても十分なのではないかと思ったのですが△同馬▲同金△6四桂。いけるとなればいくのが佐藤流で,これは佐藤棋聖の将棋の魅力のひとつと思います。
 ここで更新が少し滞ったので,渡辺竜王が長考したものと推測します(30分考えたとのことです)。△6四桂はこれしかないという攻めなのですが,どうもこれが振りほどけないようです。そこで▲3三と△同銀▲5五桂と反撃に転じましたが,ここで歩を渡したので86手目△8八歩の軽手が生じました(ここで歩を渡したのはやはり悪く,▲3三とでは▲6八桂と辛抱する方が綾があったようです。ただ,△6四桂▲6八桂というのは部分的には屈服といえますので,後手がよいのは間違いないでしょう)。それでも早逃げから89手目▲9五角の詰めろをかけましたが,これには△7九と▲5九玉と追ってから△5六桂が脱出口を開きつつ攻めの継続を図る一手。ここで▲6七金と寄ったのは根性を見せたと思いますが,△3七角から△5七桂が最後の決め手。102手目の△5七銀成となってははっきりと後手の勝ち。▲3八金打には△4八角成と角の方でいくのが当然ながら明解で,106手目はおそらく△3七金でも後手の勝ちと思いますが,佐藤棋聖は△3七桂の王手飛車を選択。投了の局面からはごく簡単な三手詰みです。
 これで佐藤棋聖の2連勝となり,防衛に王手。渡辺竜王はこれでここのところ5連敗と考えられないような不調ですが,巻き返しの期待される第三局は29日に指されます。

 明日は宝塚記念。胸躍る素晴らしいメンバーになりました。ウオッカ◎を中心に推しますが,これはこの馬にこれからの日本の競馬界を背負っていってほしいという期待込みです。ポップロック○,ダイワメジャー▲,アドマイヤムーン△,メイショウサムソン△といったあたりが強敵ですが,インティライミやアドマイヤフジも買ってみたいです。競馬にはあまり興味がないという方も,このレースだけはぜひご覧になってください。

 別府記念も決勝を迎えます。並びは金子-木本の中部近畿,四国単騎の浜田に神山-小橋-阿部の関東,北津留-小野-井上の九州。小野選手◎と井上選手○が中心になりますが,浜田選手が頑張れば神山選手△と小橋選手の線もあるでしょう。ただ,自力3人の比較からは,金子選手▲に食指をそそられます。

 第二部定理四三はこの方法で十分に証明がされているのですが,やはりこれは人間の精神のうちにある真の観念・十全な観念が問題となっているわけですから,これを神との関連でも調べておくことにします。このときに重要であるのは,一般にXの観念とXの観念の観念というのは,形相的事物としてのXと,その客観的有であるX,すなわちXの観念がそうであるのと同様に,平行論における同一個体の関係にあるということです。これはXの観念とXの観念の観念というのは,当然ながらともに思惟の様態であるわけですが,もしもあるXの観念というのを,ひとつの客観的有としてある形相的な側面から考えた場合には,Xの観念の観念とXの観念との関係は,Xの観念と形相的なXの関係に等しいということから明らかだと思います。
 ところで,この同一個体および平行論は,『エチカ』においては第二部定理七から派生してくるのです。これは直接的には延長の属性と思惟の属性との間の定理ですが,同じことは,観念と観念の観念との間にもいえる筈です。したがって,ある人間精神のうちに真の観念があるというのが,第二部定理一一系の意味により,ある人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念があるという意味なら,それと同一個体である真の観念の観念も同じ秩序,すなわち,その人間の本性を構成する限りで神のうちにあることになります。よって,ある人間の精神のうちにある真の観念があるならば,この同じ人間の精神のうちにはその真の観念の観念もあることになり,人間は自分が真の観念を有しているということを知り,このことについては疑い得ないということになるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする