スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

名人戦&第二部定理三三

2007-06-18 22:40:33 | 将棋
 14日と15日に指された名人戦七番勝負第六局は,将棋というゲームに含まれている恐ろしさをまざまざと知らしめるような一局となりました。
 先手が森内俊之名人,後手が郷田真隆九段で,第二局,第四局と同様の相矢倉。角交換となって先手が先に打ち込み,先に馬を作り,戦いが始まってからは終始先手がリードする形で進んでいきました。
 94手目△1九龍。▲3二と△同金▲5五角のような手があるのでどうかと思うのですが,将来,玉が逃げ出した際などには,この香車を排除しておかなければならないという判断があったのかもしれません。
 ここから将棋は▲4五桂△同歩▲3二と△同金となったので,次の▲5五角が王手飛車の上に龍取りとなり,△3三銀▲1九角と進みました。実はこの手順が謎でした。▲4五桂には△同歩ではなく▲4二金があるように思えたからです。僕には分からなかったのでLogical Spaceさんにも教えて頂きました。まず△4二金には▲6四角などもあると思いますがただですので普通は▲同馬でしょう。ここで△3二金打と打ってしまっては,反撃の含みがないので後手は△3二金と引いて頑張りたいですが,普通に▲同馬△同玉▲5三桂成とされると,どうも後手は金を受けに使わざるを得なくなるようです。実戦の手順は,手数を伸ばすだけであってもすぐには投了しないというような意図があったと思われますが,1九の龍をただで取られてしまいましたので,逆転の綾が皆無と思えるような大差になりました。
 111手目に▲7三角成と切り,▲2四香から寄せていったのはごつい手順という印象ですがこれでよいのでしょう。121手目から▲2六飛△2五歩▲同飛△1四玉というのも謎で,たとえば▲2六飛△1四玉▲2一飛成と進むなら,ただ一歩を渡すだけですから損です。ただし実戦は飛車が2五に来たので▲3三馬。これが逆転の要因になったのですが,▲3三馬はむしろ好手というべきでしょう。
 詰めろなのでここから後手が王手で反撃。130手目の△5三香には▲3三馬を生かして▲5五金と移動合いをすれば先手の完勝で終っていたと思うのですが▲4七玉。△5八角成▲3八玉に△4六桂と打たれ,大逆転を許してしまいました。投了の局面は▲3五同飛は詰んでしまうので逃げるほかありませんが,△3三桂と馬を抜かれて指す手に窮してしまいます。
 これで3勝3敗の五分になりました。次でもし郷田新名人が誕生ということになれば,この一局は後々まで語り継がれる大逆転ということになるでしょう。

 明日は船橋でグランドマイラーズ。薄暮開催で6時半の発走です。ここはナイキアディライト◎とコアレスタイム○の争いとみます。ほかではブルーローレンス△,グリンセレブ△,ベルモントソレイユ△。

 高松記念も決勝です。並びは伏見に手島ー広川の関東,渡部ー香川の四国に飯田,田中ー荒井の九州に金田で3分戦。ここは荒井選手◎が有利でしょう。順当なら相手も金田選手○。渡部選手△の捲りもありますが,うまく分断できれば伏見選手▲と手島選手△。

 第二部定理三五でいわれている混乱した観念が含む認識の欠如について,その欠如している認識が,具体的には,それが混乱した観念であるという認識,あるいはそれが十全な観念ではないという認識であるとするならば,この認識が欠如しているという理由によって,はじめて人間は誤謬を犯すということになるわけですから,人間が誤謬から免れるためには,いかにして混乱した観念を混乱した観念であると認識することができるか,つまり,虚偽を虚偽として認識できるのか,いい換えれば,人間はいかにして虚偽と真理とを分かつことができるのかということが問題になってきます。
 これについては,混乱した観念,あるいは十全な観念であろうと混乱した観念であろうと,観念というものが一般的に有している性質というのを検討してみるために,第二部定理三三からみていくことにします。
 「観念の中にはそれを虚偽と言わしめるような積極的なものは何も存しない」。
 この定理の意味については問題ないでしょう。しかし,もしも本当にあらゆる観念の中に,それを虚偽というだけの積極的なものが何もないのだとしたら,少なくとも知性は,ある混乱した観念に注目するというだけでは,それが混乱した観念であるということを認識することはできないということになるように思われます。
コメント
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