スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

秋華賞&無限知性

2012-10-14 18:48:08 | 中央競馬
 ジェンティルドンナの牝馬三冠がかかった第17回秋華賞
 最内から鞭も入れてヴィルシーナの逃げに。メイショウスザンナはほとんど並ぶように続き,キャトルフィーユとアイスフォーリス,ダイワズーム,サンシャインとアイムユアーズ,さらにトーセンベニザクラが続き,その後ろにハワイアンウインドとジェンティルドンナ。この隊列はほとんど変わらなかったのですが,向正面に入ると後方からチェリーメドゥーサが進出し,一気に先頭を奪いました。前半の1000mは62秒2という超スローペースでしたのでこうした走行が可能になったともいえます。
 チェリーメドゥーサは前走も2コーナーでは後方,そこから一気に動いて3コーナーでは先頭という競馬をしていたのですが,今日は向正面で先頭を奪った後もほとんどスピードを緩めず,ぐんぐんと離していき4コーナーでも5馬身以上のリード。最後は5着でしたが十分に見せ場を作りました。アイスフォーリスの進出に合わせてヴィルシーナも前を追い始め,控えていたジェンティルドンナが大外からそれに襲い掛かる形。ジェンティルドンナが一旦は完全に先頭に立ったように思えるのですが,そこからヴィルシーナが差し返しにいき,ほぼ並んでのゴール。それでもジェンティルドンナがハナ差だけ抑えていて牝馬三冠達成。一方のヴィルシーナは牝馬三冠いずれも2着。1馬身半差の3着に脚を溜めて追い込んだアロマティコ。
 優勝したジェンティルドンナオークスに続く大レース3勝目。秋の初戦となったローズステークスも完勝していて,春とは異なりここは挑戦を受ける立場。位置取りはやや悪くなりましたがそれを能力でカバーしたようなレース。もしもエリザベス女王杯に進むならば本命でしょうし,牡馬のトップクラスが相手でもいい競馬ができるだけの馬だと思います。父はディープインパクト。全姉に今年の京都牝馬ステークスと関屋記念を勝っている現役のドナウブルー。Gentildonnaはイタリア語で淑女。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手はスプリンターズステークスに続いて今秋の大レース2勝目。第13回第16回を優勝していて秋華賞は2年連続の3勝目。管理している石坂正[せい]調教師はオークス以来の大レース制覇で秋華賞初勝利。

 第一部定理三一からも分かるように,神の無限知性もたとえば人間の有限な知性も,それが絶対的思惟ではなく,思惟の様態であるという点では何ら変わるところはありません。しかし,同じように思惟の様態といわれるのであっても,無限知性と有限な知性の間には,非常に大きな差異もまたあるのです。
 これは,無限知性がまさに無限知性といわれている点に関係します。すなわち,たとえば人間の精神のような有限な知性は,第一部定理二五系でいわれているような,神のある属性,この場合には思惟の属性を一定の仕方で表現するような様態なのですが,無限知性はそうではありません。無限知性は無限様態なのであって,具体的にいうなら神の思惟の属性の直接無限様態であるということに,スピノザの哲学ではなっているのです。
 このために,同じように思惟の様態とされてはいても,神の無限知性と人間の精神とでは,いくつかの差異があると考えなければなりません。ここでは,現在の考察と関連するふたつの差異を指摘しておくことにします。
 第一に,もしもある知性が現実的にあるといわれる場合に,人間の精神のような有限な知性というのは,思惟の属性の有限様態,すなわち個物であるわけですから,第二部定義七によって,それはある一定の持続のうちに存在するということになります。ところが,神の無限知性の場合には個物ではありませんから,このことが該当しません。むしろこれは直接無限様態なので,第一部定理二一にあるように,一定の持続のうちに実在するというわけではなく,むしろ永遠から永遠にわたって存在するといわれなければならないのです。
 したがって,思惟の属性の個物である有限な知性は,それが存在する原因が与えられなければ,第一部公理三によって現実的には存在しないということになります。しかし神の無限知性はそうではありません。それは様態ですから,第一部定理一により本性の上では思惟の属性の存在が「先立つ」わけですが,これは時間的な意味において先行するという意味ではありません。むしろ思惟が神の属性であるならば,必然的に存在するような様態であるということになるのです。
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