スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

滝澤正光杯&第二部定理九系の原因と結果

2012-10-22 18:55:37 | 競輪
 昨日の千葉記念の決勝。並びは小埜-海老根ー石毛-大木-勝瀬の南関東と三宅-小川の中四国に十文字で,稲村は単騎。
 フライングじゃないかと思えるような発走で三宅がスタートを取って前受け。4番手が小埜で稲村は最後尾で周回。小埜が上昇して三宅を抑えたのが打鐘前のバック。これでは三宅も引くことができず,海老根のインで粘ることになりました。流していた小埜がこのまま先行。番手は併走のままバック。最後尾の稲村が捲りあげて,挟まれる形となった海老根がひとりでに後退。労せずして番手を得た三宅が直線で発進し,小川と直線勝負。きわどい差になりましたが凌いでいた三宅が優勝で小川が2着。3着にも十文字で結果的にはこのラインの上位独占でした。
 優勝した岡山の三宅達也選手は2009年2月の奈良記念以来となる記念競輪2勝目。このシリーズは候補とみられた選手の脱落が多く,メンバー全体のレベルはあまり高くなりませんでした。とはいえ圧倒的に地元勢に有利な構成で,遠慮せずに番手戦を挑んだのが勝因でしょう。もっともそうなったのは小埜の抑え方がまずかったからともいえ,相手ラインの作戦のまずさに助けられたという面もあったかとは思います。

 続いて第二部定理九系です。実はこの系は,それ自体でみるならば,原因と結果というものが,具体的に措定されているとはいえません。ただ,第二部定理九の系としてこれを配置したスピノザの意図からすれば,実際にはこの中には,ある原因と結果とが含まれているのだと推測できます。そしてその場合には,ある観念が原因であり,その観念の対象ideatumの中に起こることの観念が結果であると考えるほかないだろうと僕は考えます。実際にこの系に原因と結果とを措定することが可能であるかどうかを問うのであればまた話は別ですが,それが措定されるということを前提条件とするならば,おそらくこのこと自体には反論はないものと思います。
 そしてこのことは同時に次のことを意味しなければなりません。すなわち,スピノザの哲学においては,平行論における同一個体の間では原因と結果の連結は一致します。これは第二部定理七でいわれていることそのままであると考えてよいでしょう。したがって,ある観念が原因であってその観念の対象ideatumの中に起こることの観念が結果であるとするならば,要するにそれは,形相的にみられた場合の観念の対象ideatumが原因であり,その観念の対象ideatumの中に起こることというのが結果であるということでなければならないわけです。
 第二部定理九に十全な観念という観点を導入し,そのことから第二部定理九系を読解するならば,つまりそれはこの原因とされている事柄,つまり客観的にいうなら観念が十全な原因となってその観念の対象ideatumの中に起こることの観念が結果として発生するということになりますし,形相的にいうなら観念の対象ideatumが十全な原因としてその対象ideatumの中に起こることを結果として発生させるということになるのです。
 このとき,結果として生じる観念,つまり観念の対象ideatumの中に起こることの観念が十全な観念であるということは必然的な帰結です。これはまず第二部定理四〇からそうでなければなりませんし,第三部定義二第三部定理一からもそうであるということになるからです。
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