スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典平和賞&消極的の意味

2012-10-31 19:00:32 | 地方競馬
 北海道から3頭が遠征してきた第58回平和賞。キャプテンガールが競走除外で11頭。
 新馬勝ち直後で果敢に挑んできたヒデサンジュニアの逃げ。アメイジアとハードデイズナイトが追いその直後にインサイドザパーク。前半の800mは52秒1でこれは超スローペース。
 ピッチが上がったのは残り800m付近。前に位置していた馬はどれも力はある馬でしたが,ハードデイズナイトは後退し,残りの3頭が4番手以下を引き離すように直線に。まず逃げるヒデサンジュニアを交わしたアメイジアが先頭に立つも,さらにその外をインサイドザパークが伸び,1馬身の差をつけて優勝。アメイジアが2着。最終的には4馬身離されましたが,ヒデサンジュニアが3着を確保。
 優勝したインサイドザパークは先々週の鎌倉記念に続いて南関東重賞2勝目。初対戦の馬もいましたが,それぞれに課題を抱えていまして,最有力と思われました。ペースがペースとはいえわりと前に位置してレースを進めることができたのは収穫だったのではないかと思います。父はタイムパラドックス,母の父はサッカーボーイで,距離は伸びるほどよいように思えます。祖母の従妹に2006年のエリザベス女王杯を勝ったフサイチパンドラ
 騎乗した船橋の左海誠二騎手は第47回と第53回を勝っていて平和賞3勝目。管理している林正人調教師は第53回を制していて2勝目。

 第二部定理九系の消極的意味に関しては,説明しておかなければならない事柄がいくつかあります。
 まず最初に,僕がなぜこれを消極的というのかということです。僕の理解では,実はこの意味のうちには,ある観念の対象ideatumの中に起こることの観念が,どのように神と結び付けられれば十全であるのかということが,十分には説明されていません。対象ideatumの中に起こることの観念が,対象ideatumの観念を有する神と関連付けられなければならないということははっきりしていますが,それ以上の具体的なことは不明であるからです。すなわちそれは対象ideatumの観念を有する限りでの神のうちにあるのかもしれませんし,あるいは対象ideatumの観念を有するとともに何かほかのものの観念を有する限りで神のうちにあるのかもしれません。もしかしたらそれこそ第二部定理九の無限連鎖という意味での無限知性を有する限りでの神のうちにあるのかもしれないからです。いい換えれば対象ideatumの中に起こることの観念の十全性を保証するパターンというのは,ひとつではないということになっているのです。なので実際にこの系の意味は,少なくともそれが対象ideatumの観念と関連付けられているということは必須であるということだけです。いわば対象ideatumの観念を有していない限りでは神のうちにはその対象ideatumの中に起こることの観念は神のうちにはないということだけが明らかになっています。つまりある種の限定,ないしは否定的要素を示した意味であるということになります。そしてこの点において,僕はこれを消極的であると考えるのです。
 ただし,この場合にこうした意味になることは,必然であるともいえます。というのは,平行論からして,このことは,形相的にみられた場合の対象ideatumの中に起こることに対して,対象ideatumである個物がどのような原因,つまり十全な原因を構成するのか部分的原因を構成するのか,そして部分的原因であるならほかにどんな原因があるのかということと秩序が一致するですが,そのことが必ずしも一様であるとはいえないからです。
コメント
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