スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&操作の条件

2012-10-19 18:59:44 | 将棋
 日本と中国の関係の悪化の影響で,上海で予定されていた対局が回避となってしまった第2期女流王座戦五番勝負第一局。公式戦初対局。
 振駒で本田小百合女流三段の先手。加藤桃子女流王座は横歩取りに誘導しましたが先手はこれを拒否して浮飛車。対して後手が高飛車に構えたことが発端となり,早い段階から斬り合いの将棋となりました。
                         
 ここから後手は角交換して,飛車成りは受けずに△4五角。▲5三飛成△5ニ歩は必然。龍の行き場所がないので▲8六歩△同飛とどかして▲5五龍かと思いましたが,龍を逃げずに▲7七角と打ちました。これには△8八飛成▲同角としてから△5三歩。このままでは銀の丸損ですから▲1一角成として,△3三桂と逃げ,▲8五飛と打ちました。
                         
 この手では▲2一飛と打つ手もあり,たぶんその方がよかったのではないかと思います。手の善悪がどうこういうよりも,ちょうど角にヒモがついたところで8五に打つよりは,桂馬を跳ねた空間に打ち込む方が,勝負という面では優れているように思えるからです。
 実際に第2図で差がついていないということはないでしょうが,どちらがどのくらいよいのかということは僕にはいまひとつ分かりません。ただ将棋はこの後の後手の迫り方が巧みで,圧勝と感じさせるような内容で終っています。
 加藤女流王座が先勝。第二局は来月3日です。

 こうした視点から第二部定理八系について考えるならば,少なくとも神の無限な観念がある限りおいてあるといわれている場合には,個物の観念の原因と結果の無限連鎖が,神の無限知性を構成しているということはもはや疑い得ないでしょう。いい換えれば,第一部定理二一によって神の思惟の属性の直接無限様態が発生するとき,その直接無限様態というのは,各々の個物の観念の原因と結果の無限連鎖からなっているということになります。そしてこのことが,「無限に進む」ということばの中に込められている筈のある消極的意味を,積極的にな意味として捕え直すことの第一義的内容であるということになるでしょう。
                         
 こうした事態を指して,福居純は『スピノザ「共通概念」試論』の中で,直接無限様態は個物であるという旨の主張をするわけです。前回の考察の中で述べたように,僕はそのような言い回しをすること自体には必ずしも賛同しかねますが,一方で福居が,個物の観念の原因と結果の無限連鎖というのを厳密な意味で支持するためには,このことを支持しなければならないという主旨の主張をするとき,僕は全面的にそれに同意します。
 しかし,これではまだ第二部定理九原因の十全性という観点を導入するという,現在の考察についての課題はまったくといっていいほど解決できていません。というのも,上述の事柄は,あくまでも個物の観念が神の思惟の属性に包容されている限りにおいてしかまだ成立していないのですが,第二部定理九は,わざわざスピノザがそのような断りを入れていることから分かるように,むしろ個物の観念が現実的に存在する場合についての言及であると理解するべきものであると思われるからです。
 ただし,一方で,すでに最初にこの課題を立てた段階からは,かなりの程度まで前進することができているともいえます。なぜなら,この定理に原因の十全性という観点を導入するための条件というのは,現段階ではっきりと明らかになっているといえるからです。すなわちそれは「無限に進む」ということを積極的に理解することですが,そのためには,第二部定理九の無限連鎖もまた,神の無限知性を構成するというように読み取ればいいのだからです。
コメント
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